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2007年12月27日(木)

幸運は勇気あるものに舞い降りる

ドラゴンズが53年ぶりに日本一になり、FC岐阜がJ2に昇格し、2007年はこの地方のスポーツにとってなかなかいい感じのフィニッシュで終わろうとしています。

そんななかで今一番ホットな話題は、ハンドボールの北京オリンピック予選です。9月に豊田市で行われたアジア最終予選でのこと。中東のレフリーの露骨なクエート有利のジャッジに対する日本と韓国の抗議がみとめられ、来年アジア予選を「やりなおす」ことのなったのです。(今日の報道によると開催予定の中立国として最適な北京が「困難だ」といっているようですが)

9月3日、スカイホール豊田での日本―クエート戦。「スポ研」の取材で観戦していた私は、「これがスポーツなのか?」という光景を目の当りにしました。前日の韓国‐クエート戦もひどかったらしく、試合前から日本のサポーターはレフリーにブーイングを飛ばしている。試合が始まるとその心配は現実のものとなった。日本の得点がオフェンスファールで認められない、不可解なジャッジで日本の選手が退場になる、監督が抗議すると監督にイエローカード、日本が速攻に出ようとするとベンチに下がるクエートの選手がわざと転んで試合の流れを止めるなど、とんでもないレフリングが続発した。そして残り2分でクエートが4点差をつけるとアリバイ的にクエートのファールを取りだすという、絶対にクエートに勝たせるという意図を持ったレフリーだった。まさかホスト国の日本でこんなことがあるとは。北京を目指しすべてをかけてきた選手が本当にかわいそうに思えた。

後で調べると、アジアハンドボール連盟の会長はクエートの皇太子だという。推測だが、ハンドボール業界にはクエートのオイルマネーが大量に流れ、クエートは何をしてでも絶対に北京にでることが課せられていたのだろう。 これが、野球やサッカーだったらもっと大きく報道されただろうが、この一件は翌日の新聞に小さく載っただけだった。このまま多くの人が知らないうちにハンドの日本代表は北京に出れずに終わってしまうのかと思っていたが、日本と韓国の抗議がようやく実りアジア予選は「やりなおし」になった。
さあもう一度北京のチャンスが訪れた。ハンドボールの日本代表には是非がんばって、北京の切符を掴んでほしい。

「幸運は勇気あるものに舞い降りる」

2007年12月19日(水)

頑張って

一般的に別れの季節といえば3月が思い浮かびますが、プロ野球の世界では今がその時期にあたります。引退、トレード、戦力外。様々な理由でチームから去っていかなければなりません。プロ野球の場合、支配下選手数が決まっているためドラフトなどで新しい選手を獲得すればその人数だけチームから出て行くことになります。

先日、育成選手としてドラゴンズで2年間プレーした地元名商大出身の竹下選手が引越しのため寮から大きな荷物を運び出していました。竹下選手はトライアウトを受けプロの世界に残れる道を探していましたが、どこの球団からも声がかからず、今後は一般企業に勤めながら何とか野球を続けていくそうです。
一方、同じく戦力外通告から見事、楽天に合格したのはプロ4年目の石川賢投手。石川投手は現在毎日のようにナゴヤ球場の室内練習場でトレーニングに励んでいます。プロに残れるかどうかは別にして新たな道を歩き始めた二人。そしてそんな彼らに僕たちがかける言葉はいつも「頑張って」の一言のみ。もちろん彼らが「頑張っていない」訳ではないのは知っているのですが、この言葉以外に掛ける言葉が思いつかないのが正直なところです。

毎年この季節になると頻繁に使う言葉「頑張って」は新しい道を歩む選手たちの少しでも力になれるようにという励ましの言葉でもありながら別れの言葉でもあるのです。

2007年12月13日(木)

女子アナ・フィギュアスケーターへの道

スポ研のスペシャル企画、「女子アナフィギュアスケーターへの道」の最終回が今週放送される。お披露目はトリノ五輪金メダリスト・荒川静香さんの前でという事で、荒川さんがアイスショーを開催している出雲市内で最終ロケが行われた。全くの素人である新人の鈴木アナは3ヶ月間、本当にがんばってくれたと思う。3ヶ月間といってもリンクを貸切り、コーチが付いての練習は5~6回程度。その他は、スケーターでごった返す大須リンクの一般滑走の中で、地道に練習を重ねていた。以前の企画で運動神経の良さを発揮した鈴木アナに今回の企画も迷わず依頼、とはいえたった3ヶ月間で果たしてどこまで映像に耐えうる演技が出来るのか? 私自身、不安だった。(鈴木アナのほうがもっと不安だったと思うが・・)ところが日を追うごとにスケーティング技術は目に見えて上がっていく。たまたま1日練習に付き添えない時があったのだが、翌日見に行くと既にシングル・トゥループジャンプをマスターしていた。こちら側もある程度の演技レベルを当初、予定していたが、やはり欲は出るもので上達するにつれレベルを上げていった。本番前日、いや直前までプログラムの細部までこだわった。

本番当日、鈴木アナは朝の生番組出演終了後、電車で6時間!!かけて出雲入り。
それだけでもぐったりな所だが、即、着替えて初めての氷で20分ほどの練習(氷は硬い柔らかいなどの差がそれぞれある)そして、演技披露となった。その模様は、今週のスポ研でご覧頂くとして、フィギュアスケートが普段テレビに映るのはいわゆるトップスケーターの素晴らしい演技ばかりである。その難しさはなかなか伝わりにくい。野球であればプロの投手が150キロ、素人が投げて90キロ。プロのすごさが分かる。そんな目線で今回、鈴木アナの演技を見ていただいてから、滑ってみたら、鈴木アナの3ヶ月間の~がんばり~を分かっていただけるかも・・・

2007年12月04日(火)

Jリーグ加入

FC岐阜のJリーグ入りが決まった。FC岐阜は「岐阜県にもプロサッカーチームを」と2001年に誕生した。その後地域リーグを勝ち上がり、今シーズンからアマチュアリーグの最高峰であるJFLに参加。JFL18チーム中4位以上の成績を収め、なおかつプロチームにふさわしい経営基盤があると認められれば J2昇格という状況だった。地域リーグは順当に勝ちあがったが、今シーズンのJFLはすんなりとはいかなかった。開幕当初は順調に勝ち星を重ねたものの、夏場から思うように勝ち星が伸びず、一時は昇格圏外の7位まで順位を下げた。最終戦のひとつ前の試合では、1-3で佐川急便SCに敗れ自力昇格が消滅し窮地に追い込まれた。ライバルチームが敗れたことで息を吹き返し、最終戦でようやく4位以内を確定させる“ぎりぎり”の昇格だった。経営面でもJリーグから「財政面で問題がある」とされ、その後なんとかスポンサーのめどをつけ、こちらも“ぎりぎり”の合格となった。

12月3日午後4時40分、Jリーグの鬼武チェアマンから電話でJリーグ加入決定の連絡が入った。決定を受けて今西GM、松永監督、北村、片桐両選手が記者会見に臨んだが、4人の口から共通して語られたのは「ここまで選手やスタッフを支えてくれたのはサポーター」という言葉だった。FC岐阜のサポーターは確かにチームに力を与えた。最終戦は群馬県での試合だったが、岐阜から700人ものサポーターが乗り込んで選手を奮い立たせた。チームの財政難を救おうとサポーター持ち株会も立ち上げた。持ち株会の事務局長である飴屋の社長さんに聞いたら、すでに800万円以上集まったという。この日も決定の報告を一刻も早く聞こうと記者会見場の外のロビーには30人ほどのサポーターが集まった。記者会見の前、今西GMは報道陣にこう言った。「Jリーグから決定の連絡が来たら、まず外にいるサポーターに決定の報告をします。それから記者会見をします。」サポーターを大事にしたいという思いの表れだ。“いの一番”に報告を受けて、サポーターは抱き合い涙して喜びを分かち合っていた。

記者会見が終って帰る途中、JR岐阜駅で今西GMと遭遇した。今西GMは吉備国際大学の教授を務めていて岡山へとんぼ帰りだ。「よかったですわ。」「お祝いの電話は15本くらいあったかなあ」ほっとした雰囲気できょうのようすを話す今西GMだったが、話題が来シーズンのことになったとたん表情が厳しくなった。J加盟決定というめでたい日にもかかわらず、きょうすでに何人かの選手に来シーズン契約を結ばないことを通知したそうだ。「いっしょに戦ってきた選手に通告するのはつらいが、選手を入れ替えていかないとチームは強くならない。」Jで勝ち抜くため戦力補強は絶対だが、資金は正直ない。補強はJを戦力外になった選手を中心にやっていくそうだ。また残留する選手の給料もJにあがったとはいえそんなにアップできないという。 Jリーグ入りはあくまでスタートライン。さらに上をめざすFC岐阜にとってこれまで以上に長く厳しい戦いが始まった。