移住の理由は「サーフィン」 オリンピック目指す二十歳の女性選手・都築虹帆に迫る ホームは愛知県田原市

2024年1月25日 17:21
地元を愛し地元に愛されるサーファー。パリオリンピック出場へのラストチャンスに挑んだ20歳の女性選手に迫りました。

愛知・常滑市出身 田原市在住 都築虹帆 選手

 愛知県、常滑市出身、プロサーファーの都築虹帆(ななほ)選手(20)。

「サーフィンは自然をダイレクトで感じることができる遊びで、波と共に自分のサーフィンを繰り出すところがすごく面白いポイントだと思う」(都築虹帆 選手)

 東京オリンピックから正式種目となったサーフィン。

 技の難度や独創性で争われ、日本から男女ともにメダリストが生まれました。

「世界にナナホツヅキっていうのを知ってもらえたらうれしい」(都築虹帆 選手)

 世代屈指のサーファーが常に見つめるのは世界の舞台。

 去年、各国のプロサーファーが集まるリーグで、アジアトップの成績を収めるなど波に乗っています。
 

都築虹帆 選手

地元を愛し地元に愛されるサーファー
 中学生のころ、常滑市から日本を代表するサーフィンスポットである田原市に移住。

 いい波を追い求めやってきた都築選手ですが、いまでは自然や人の温かさにメ~ロメロ。

「波が毎日あることは、私はそれだけで超うれしいんですけど、なんとそれだけじゃなくて自然の豊かさも良いし、人もあったかいし、ご飯も全部おいしいし、最高です」(都築虹帆 選手)

 海外での試合から帰ると、応援してくれる地元のスポンサーを訪問。

 遠征費用を賄うため自らプレゼンし、サポートしてくれることになった企業もー

 その一つ田原の自動車販売店からは、なんと車を提供されています。

「超かっこいいです。早くこれでサーフィン行きたいです」(都築虹帆 選手)
「田原から世界へ出たっていう選手も見てみたいので」(渥美モータース 鈴木大智さん)
「スポンサーさんあっての今の私なんで、本当に幸せ者です」(都築虹帆 選手)
 

ウミガメの放流会に参加する都築虹帆 選手

地元の自然を守る活動にも積極的に参加
 去年9月。田原の海にやってきた目的はサーフィン…ではなくウミガメの放流会。

「がんばって海に出てほしいし、また帰ってきてほしいですよね、可愛い」(都築虹帆 選手)

 海外遠征の合間を縫って、地元の自然を守る活動に積極的に参加。

 さらに、獲得賞金の一部を田原の環境保護団体に寄付しています。

「環境の事にもすごい興味があるし海を大切にしとるし、すごい子が来たなと思って」(環境保護仲間 大場可さん)

「ホーム(田原)があるから頑張れる自分がいるっていうのは本当に間違いがなくて、そういった人たちに自分らしいサーフィンを世界で見せて、恩返しができたらいい」(都築虹帆 選手)
 

大技「エア・リバース」

大技を武器にパリ五輪出場を目指す
 そんな都築選手の代名詞ともいえる技が「エア・リバース」。空中へ飛び出し1回転する大技です。

 日本の女子では、唯一試合の中で決めたことがあります。

「エア・リバースを日本人女子でやっている人はほぼいなくて絶対それで世界で戦う日が来ると私は思っている」(都築虹帆 選手)

 先月、静岡県で開かれた日本代表の選考合宿。

 パリオリンピックにつながる国際大会への派遣がここで決まります。

 招集されたのは東京オリンピック銅メダリストの都筑有夢路(あむろ)選手など海外で結果を残す4人。その中から2人に絞られます。

「私がサーフィン始めたぐらいにオリンピックに追加種目になって、日本代表になって世界で戦うって事はすごくかっこいいですし私の憧れであるので出られるように頑張りたい」(都築虹帆 選手)
 

都築虹帆 選手

パリ出場を懸けた挑戦
 パリオリンピックへの出場を懸けたラストチャンス。

 田原の海で磨いてきた自分のスキルを信じ、今できることに集中。

 武器であるエア・リバースを成功させるなど、最大限のアピールを見せました。

 しかし結果は、落選。

「ぽっかり心に空いた感じがあって、すごく悲しい、悔しい、怒れるみたいなグチャグチャな感情」(都築虹帆 選手)

 オリンピック出場の夢は4年後に持ち越しとなりました。
 

都築虹帆 選手

落選から約1カ月。前をむき歩み始める
 1月17日、年が明け初めて海外遠征から田原に帰省。久しぶりの地元でリラックス。

「今年、田原の海を初めて見ています、落ち着いてていいですね。ホッとするし、いやされる。めっちゃ多いんですよね。プラスチックの破片みたいなのが取れないぐらいちっちゃい」(都築虹帆 選手)

 この日はビーチでごみ拾い。常に田原の海への感謝を忘れません。

「自分の遊び場が自然の中だったからこそ、きれいであってほしいし、その場所がずっと残ったらうれしい」(都築虹帆 選手)

 代表落選から約1カ月。

 田原をこよなく愛するハタチは、すでに前を向き歩み始めています。

「ここで終わりじゃないし、人生これだけじゃないし、そう思った時に『私やりきったし次だな』みたいな気持ちです。4年後の五輪は遠くてもまた一瞬でまた来るんだろうなって思っているんで、その時は絶対出て今度は日本代表のジャージ着て田原で取材お願いします(笑)」(都築虹帆 選手)

(1月25日15:40~放送メ~テレ『ドデスカ!+』じもスポ!コーナーより)
 

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