朝鮮人労働者2人殺害「木本事件」を知っていますか? 「隠されている限り、お互い傷は癒えることはない」

2023年9月4日 18:15
関東大震災の発生から1日で100年が過ぎました。震災の混乱の中、多くの朝鮮人が命を奪われました。デマを信じた群衆によって罪のない人が殺される――。そんな事件が、この地方でも起きていました。

木本神社(三重・熊野市)

 2日午前9時半。名古屋駅近くの映画館に大行列ができました。

Q.これだけ並ぶのは年に何回?
「5年に1回ですよ」(シネマスコーレ 木全純治代表)

 並んだ人のお目当ては1日に公開された映画です。

 関東大震災が起きた5日後、千葉県の旧福田村で100人以上の村人が香川県から来た行商の一行を襲撃。

 9人が殺害された「福田村事件」を描いた作品です。

 村人は「朝鮮人が襲ってくる」というデマを信じ、行商を朝鮮人と疑って襲いました。
 

監督の森達也さん

 監督の森達也さんにとって、初めてとなる劇映画です。

「これはたまたま福田村で起きましたけど、関東全域でああいうことが起きていた。更に言えば日本のどこで起きていてもおかしくないし、そういう意味ではまったく他人事ではないと思って見てください」(監督 森達也さん)
 

主演の井浦新さん

 主演の井浦新さんは、デマに煽られる集団心理は今の時代にも通じるといいます。

「100年前も今も、竹やりがスマートフォンになってとかSNSになってとか、道具が変わっただけで僕らがやっていることはきっと変わっていないと思う。過去のことだからということではなく私たちの中にある物語でもあると思うので、ぜひたくさんの人に見ていただきたい」(主演 井浦新さん)
 

淇谷「関東大震災絵巻」

虐殺が起きた理由を歴史から読み解く
 関東大震災の様子を目撃した画家が遺した絵巻。

 「朝鮮人が火を放った」「井戸に毒を入れている」。根拠のない噂、デマが流され、多くの命が奪われました。「朝鮮人だ」。それだけの理由で……。

 なぜ、当時、日本で虐殺が相次いだのか。その理由を歴史の流れから読み解こうとする人がいます。

 劉永昇さん(60)。在日コリアン3世です。

「ひとつひとつの事件があったのか、なかったのか、分からないまま放置しているのはいろんな傷を残す」(劉永昇さん)
 

劉永昇さん

「関東大震災で終わっていない」
 名古屋で生まれ育った劉さん。今は名古屋の出版社で編集長をしています。

 関東大震災に関する本や資料を読み込み、自分の本を出しました。

「群集心理とか異常な状況の中で、パニックになって殺したんじゃなくて、虐殺というのはいろんなイメージを与えられたり、『不逞鮮人』という汚名とか恐怖心をあおることで平時でも起きるのではないかということが、この本を書いた動機みたいなもの」(劉さん)

 劉さんは日本の植民地支配下で起きた朝鮮の独立運動に着目。

 日本の統治機関が独立を望む朝鮮人を「不逞鮮人」と呼び弾圧。

 この用語が、新聞を通じて日本国内に広がったと考えています。

「そういう視点で見ていくと、関東大震災で起きたことは関東大震災で終わっていない。その典型例として書いているのは 、三重県の木本町で起きた木本事件」(劉さん)
 

映画館があった場所

朝鮮人労働者2人が殺害される
 事件が起きたのは、三重県熊野市の旧・木本町。

 関東大震災から2年以上が過ぎた1926年1月、トンネル工事に従事していた朝鮮人労働者が町民らに襲われ2人が殺害されました。

「飯場にいた人も木本町内にいた人も (朝鮮人は)全員追われてしまった」(劉さん)

 当時の新聞などによると、事件の前日、町の映画館で日本人と朝鮮人が口論となり日本人が日本刀で朝鮮人を切りつけ重傷を負わせました。

 翌日、町内の神社に朝鮮人が集まっていたことから「ダイナマイトを持って仕返しに来る」とのデマが流れました。

 在郷軍人会や青年団が竹槍や猟銃で武装。朝鮮人労働者が暮らしていた地区を襲撃するなどし、最終的に2人が殺害されました。

 一人は頭に、かぎのついた棒、鳶口を突き刺され町の中を引きずられたといいます。

 二人の遺体は、この寺の墓地に運びこまれ数日間、放置されました。
 

日本での通名からとった戒名が刻まれた墓石

「ずっと引きずり回されたりして最後にこの場所に連れてこられて、ここで2人の遺体が並べられて、こも(むしろ)をかぶせられて、当時雪も降っていたみたいですが、何日かそのままの状態で安置されていた」(極楽寺住職 足立知典さん)

 殺害されたのは、イ・ギユンさんとぺ・サンドさん。

 墓石に刻まれたのは日本での通名からとった戒名です。

 「鮮人」とは朝鮮人を蔑んで使われた言葉。

 事件のあと二人の墓石は無縁仏として扱われ、境内を転々とするなどその存在すら忘れられていました。

「木本町では話題にされない、話をされない事件。私も地元の小学校・中学校・高校を出ていますけれども1回も聞いたことがなかった。私も住職になって調べていましたら木本町でこういう事件があったと分かって、何か供養ができないかということで朝鮮名で墓石を作った」(足立さん)
 

朝鮮名が刻まれた墓石

私費で墓を建立
 住職の足立さんは、韓国から石を取り寄せ私費で墓を建てました。

Q. 今この墓をお参りする人は来る?(劉さん)
「地元の人は少ない。遠方からお参りに来る人は年間でもけっこういる」(足立さん)

 事件のあと、朝鮮人は全員が町を追われました。

「隠されている限り被害者、朝鮮人の傷は癒えることはない。加害者も一緒で隠している限り、自分が残虐行為をしたとか、心の傷は絶対に塞がらない。ちゃんと向き合って和解していくということをしないと傷はお互いに癒えない」(劉さん)

(9月4日15:40~ 放送メ~テレ『アップ!』より)
 

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