耳がほとんど聞こえない球児 念願の野球部に入部も大きな壁、支えた恩師と仲間との絆

2023年6月29日 16:43
高校野球。いよいよ今週末から始まる、夏の愛知大会。あるハンデを背負いながらも、周囲の支えを胸に、ひたむきに努力し続けた一人の球児を追いました。

日本福祉大付3年 織田泰誠 選手

 顔が真っ黒になるのもいとわず、がむしゃらにプレーする一人の高校球児。

 日本福祉大学付属高校の織田泰誠 選手。

「一生懸命さは一番かもわからないです」(日本福祉大付 山本常夫 監督)

 監督もチーム1と認める一途さの持ち主。

 実は、生まれつき耳がほとんど聞こえず、人工内耳をつけて生活しています。

「人工内耳の電池が切れたら、まったく聞こえないです。強い風が吹くと、人の声は紛れて伝わりづらいことが多いです」(日本福祉大付3年 織田泰誠 選手)
 

父・和史さんと母・由佳さん

『野球がやりたい、お母さん』
 野球を始めたのは、小学4年。地元の少年野球チームのチラシを見て、興味を持ったのがきっかけでした。

「もともと泰誠の方は、聾学校というこちらの地域の学校じゃなかったので、地域の友達と交流が持てるいい機会になればなという軽い気持ちで、まあやってみればくらいの形でやらせてもらおうと思って」(父・和史さん)

 すぐに楽しさにのめりこみ、中学は野球部に入るため、一般の学校へ。

 そして高校は、知多地区の強豪校への進学を希望しました。

「この辺だと日福高校って野球が強いっていうイメージがあるので、さすがにちょっと大丈夫なのかなという心配はありましたね」(父・和史さん)

「泣いて『野球がやりたい、お母さん』って。『危ないから心配だし、もうやめたら?』って何度も言ったんですけど、『僕やりたいから。大丈夫だよ。大丈夫だよ』っていう言葉に応援する形になりました」(母・由佳さん)

 そんな織田選手の思いに応えたのが、かつて鹿児島の名門・神村学園を甲子園に導いた山本常夫監督。

「やっぱり機械を頭につけているわけなんで、万が一、、、と思ったら、ちょっとやっぱり大丈夫かなという思いもあったんですけど。受け入れる以上はやり通させないといけないと」(山本監督)
 

日本福祉大付 山本常夫 監督

一時は退部も…支えた恩師と仲間たち
 特別支援学校での勤務経験がある山本監督の尽力もあり、念願の野球部に入った織田選手。

 しかし、大きな壁にぶつかりました。

「高校に入ってからすぐ下を向いちゃって、友達との関係をうまく作れなくて、自分の不安が出てしまったりとかありました」(織田泰誠 選手)

 聞こえにくさから、コミュニケーションがうまくいかず、悩みを抱えるように。

 チームの迷惑になるからと、自ら退部を考えたこともありました。

「先生から『辞めるな!』って厳しい喝を入れてくれたので、『やっぱやってやる!』っていう気持ちが強くなりました」(織田泰誠 選手)

「『俺はハンデがあるからダメなんだ』じゃなくて、ハンデは確かにあるけれども、健常者の人と、『僕はあなたたちと同じですよ』と胸を張れるような男にせなあかんなと。ほかの子たちと同じ扱いをするように、まあ叱らなきゃいけないときは同じように叱って」(山本監督)
 

日本福祉大付3年 間瀬貴聖 投手

いつしかチームを鼓舞する存在に
 また、よき理解者はチームメートにも。

 小学生時代からの野球仲間、エースの間瀬貴聖 投手もその一人。

「耳が聞こえない中でもやっぱ貴聖が、僕が困ったときでも優しく声をかけてくれるのが、僕としてはうれしいなって思っています」(織田泰誠 選手)

「聴力が、俺にはあるけど泰誠には少ない。その中でほかの子と同じように生活しているのが、やっぱりすごいなって。小学校、中学校の頃から、それはずっと思っています」(日本福祉大付3年 間瀬貴聖 投手)

 人との関わりに消極的になっていた織田選手も徐々に自信をつけ、いつしか一生懸命な姿で、チームを鼓舞する存在に成長しました。

「泰誠もチームを引っ張るんだっていう気持ちでやってくれているので、ハンデを持っている中でも、強い自分を出しているのはすごいなと思います」(日本福祉大付3年 新美孫助 主将)

 入部させることに葛藤があった両親も、日福野球部でよかったと感じていました。

「確かに1年生の時は『どうせ自分は耳が悪いからこういうことができないんだ』っていうことが多かったような気がするんですけど、特に最近は『自分の気持ちが弱かったからこうなってしまった』『自分が今回さぼっちゃったからこうなった』とか、障がいとかに関係なく、自分が悪かったということを言えるようになったのは、よく変わったかなと思いますね」(父・和史さん)
 

弟の阿久比高校2年 織田凌輔 選手

対戦相手は同じく聴覚にハンデを持つ弟
 6月4日、織田選手にとって、忘れられない、阿久比高校との練習試合が行われました。

 両親も見守る中、織田選手は初のスタメン入りを果たします。

 ノーヒットで迎えた第4打席。阿久比高校のマウンドに上がったのは、なんと一学年下の弟・凌輔選手。

 凌輔選手も、お兄さんと同じく、聴覚にハンデを持つ球児です。

「兄は毎日バットを家で振っていますし、本当に一生懸命。試合結果とかライバルみたいに競っていたりするので、勝ちたいですね」(阿久比高校2年 織田凌輔 選手)

 織田兄弟の直接対決は、これが初めて。

「まさか俺がバッターの時に、弟が入るとは思っていなかったです。本当に緊張しました」(織田泰誠 選手)

 スリーボール・ワンストライクの5球目。初対決はサードフライ。軍配は弟に上がりました。

 そして、第5打席。再び兄弟の勝負がめぐってきますが、ヒットを打つことはできませんでした。

 それでも、すぐに気持ちを切り替えると、最後は、フライを自分でキャッチしてゲームセット。チームの勝利に貢献しました。

「真面目に力強く野球をしているところがみられて、今日は本当に楽しかったです」(父・和史さん)

「泰誠だけではなくてチームが一つになって、そういったことが伝わって、泰誠が日福高校で頑張ってきたなって思いがこみ上げました」(母・由佳さん)

「まあ悔しかったですね。ヒットは打てなかったけど、自分なりには全力を尽くせました」(織田泰誠 選手)
 

日本福祉大付 山本常夫 監督

「応援で誰よりもチームを一番盛り上げていきたい」
 先週、夏を戦うメンバーが発表されました。

 なんとかベンチ入りして大好きなチームに恩返しがしたいと、この日まで全力を尽くしてきた織田選手。

 20人のメンバーが、次々と呼ばれていく中――

 織田選手の名前は最後まで呼ばれませんでした。

「泣けるっていうことは、お前が最初不安やったけど頑張ったからや。頑張ってなかったらこんだけ泣くかな。お前はそれだけやったんだ」(山本監督)

「本当に山本先生には感謝しかないです。選ばれたメンバーのことは信じているので、応援で誰よりもチームを一番盛り上げていきたい」(織田泰誠 選手)

(6月29日15:40~放送メ~テレ『アップ!』じもスポ!コーナーより)
 

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