「一緒に暮らそうー」その3カ月後に届いた悲報 “収容施設から出さねば” 奔走する女性の願い

2023年5月16日 14:51
緊急事態宣言が解除されて初の週末となった2021年3月6日。賑わう名古屋の街で1人の女性がひっそりと亡くなった。名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ国籍のウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)。

真野明美さん(69歳)

 ウィシュマさんは生前に何度も体調の異変を訴えていたが、結果としてSOSは届かなかった。

 「彼女は見殺しにされたー」ウィシュマさんを支援してきた女性は、入管という密室での処遇に危機感を抱き、仮放免制度で1人でも多くの収容者を“外”に出すべく奔走している。

 
 

ウィシュマさんからの手紙を見る真野明美さん

出会いは面会…「一緒に暮らそう」
 愛知県津島市に住むシンガーソングライターの真野明美さん(69歳)。家族や育児を題材にしたフォークソングを学校やお寺、時には少年院などで披露してきた。テレビ番組にも出演したことがあり、地元のシニアには少し名が知られている。

 真野さんは、知人に頼まれたことをきっかけに5年ほど前から、一時的に収容が解かれる『仮放免』が認められた外国人を自宅に受け入れ一緒に生活している。これまでに受け入れた人は、ウガンダ、キリバス、ブラジル、ウズベキスタンなど国籍は様々だ。

 真野さんは「大変なこともあるけど、色々な国の言語や文化を知ることができるし、彼らには刺激をもらっています。うちもにぎやかで楽しいですよ」と笑顔を見せる。真野さんが、住人たちの体調を考えて無農薬の野菜で作ったカレーはエスニックで、優しい香りがした。
 

ウィシュマさんから送られた手紙

 2020年12月18日、真野さんは知人の紹介で名古屋の入管施設に行き、ウィシュマさんに出会った。面会室に現れたウィシュマさんを見て、真野さんは「小さく見えた。小柄な人だなって、少女のように見えた」と振り返る。衰弱した様子を感じ取った真野さんが「うちにおいで!一緒に暮らそうー」と伝えると、ウィシュマさんは身をよじるようにして喜びを表したという。

 2017年6月29日、ウィシュマさんは母国で語学学校を開くという夢を持ち来日した。千葉県内の日本語学校に通っていたが、次第に足が遠のくように。学校側には「体調が悪い」と伝えていたという。翌年、学校を除籍された。当時交際していた男性と静岡県に移り住むが、男性からの暴力に耐えられず交番に駆け込み、在留できる期限を超えていたことが発覚。名古屋の入管施設に収容された。
 

名古屋出入国在留管理局

「見殺しだ」まわりに職員たちがいたのに、なぜ
 「過去の辛かったことを考えないで。思い出しちゃだめだよ。辛いときは私に手紙を書いてください」。真野さんは初めての面会でウィシュマさんにこう伝えていた。それから数日後の2020年12月22日、ウィシュマさんから手紙が届いた。手紙には英語で「私はとても幸せです。だって今、わたしにはあなたがいます。守護者であるあなたが。私はたくさんの手紙をあなたに書きます」などと記されていた。真野さんはカラーペンや画用紙、封筒などを購入し、ウィシュマさん宛てに送ると、間もなく花やライオンなど、カラフルな絵も届くようになったという。

 年が明け2021年1月4日、真野さんの自宅を受け入れ先として、別の支援者からウィシュマさんの仮放免の申請書が入管に出されたが、約1カ月半後の2月16日に不許可となった。この頃のウィシュマさんについて、真野さんは「2月以降は歩くことができないから車いすだった。何度も吐くから胃液に血が混じっていた。もどすためのバケツを抱えていた」と振り返る。2月8日を最後に手紙のやり取りも途絶えた。真野さんは入管を訪れ「ウィシュマが死んでしまう!すぐに入院させて点滴を受けさせて」と何度も訴えたが、聞き入られることはなかった。収容から半年で体重が約20kg減少したウィシュマさんを見て、真野さんは「生きながらにしてミイラにされてしまった」と感じた。またウィシュマさんの腕は硬直していたという。真野さんが面会でウィシュマさんから最後に聞いた言葉は、力弱く「私をここから連れて行って」だった。

 2021年3月6日、ウィシュマさんの指先が冷たくなっていることに職員が気付き救急車を呼んだが、搬送先の病院でまもなく死亡が確認された。真野さんがウィシュマさんの訃報を知ったのは翌日ニュースを見た時だった。入管からの連絡はなかったという。「まわりにあれだけ職員たちがいたのに、見殺しだ」と憤った。
 

入管への抗議をする真野さん(2021年5月 名古屋市内)

施設の“外”へ出さねば…危機感と決意
 ウィシュマさんの死後、真野さんは「他の人たちも、入管に収容され続けていたら命が危ない」と感じるようになった。少しでも多くの人を施設の外へ出すため、これまで以上に入管へ足を運び、面会の回数も増えていった。

 そして、2021年6月から名古屋入管に収容されていた日系ブラジル人の男性に出会う。「受け答えがハキハキとした好青年で、日本語も堪能だった」と当時を振り返る。「体調が悪いから施設の外の病院に行きたいと言っても3週間以上かかる。どうしてそんなに時間がかかるかわからない」。男性は職員の対応に悩んでいたという。痔を患って出血していた男性の友人に対し、職員は「流し台で尻を洗え」と投げかけたこともあったという。食事も受け付けなくなり衰弱していく男性の姿を見て、真野さんは「第2のウィシュマになってしまう」と危機感を持ち、仮放免の許可を出すよう職員に訴え続けた。

 そのかいあってか2021年12月、男性の仮放免が認められ、真野さんが入管に迎えに行った時には、まともに歩くことができない状況だった。「彼は仮放免と同時に救急車で入管から搬送された。どうしてあんなになるまで…」と真野さんは言葉を詰まらせた。「人を人として見ていれば、ウィシュマさんは死ななかったのではないか」。真野さんの隣で男性はこう続けた。
 
「ウィシュマが生きられた社会をめざして」
「living for today](今日という日を生きる)。2023年2月、住人たちと鍋をつつきながら真野さんが何度か口にした言葉。「これが私たち『下宿館』の合言葉です。彼らが生きていくのは大変ですから」。真野さんは普段から住人たちにこの言葉を伝えているようだ。

 長期収容、入管組織の方針と職員の意識、仮放免中の制限など…在留資格を持たない外国人が日本で生きていくための環境は過酷だ。真野さんは直近で受け入れたウズベキスタン人の男性と一緒に、名古屋市内の病院を訪れていた。この病院では生活困窮者のための『無料定額診療事業』を行っている。「在留資格を持たない人は健康保険に入れないから割引もないし、医療費もばかにならないのよ。時には医師の先生と交渉したりなんかもしてね」。真野さんは指でお金の形をつくり、楽しそうにはにかんだ。その後「またいつ収容されるかという不安を抱えながら生活するなんて、普通じゃないよね。精神も肉体も病みますよ」と続けた。その表情はこれまでになく真面目な様子で、強い意志を感じた。真野さんの隣に座っているウズベキスタンの男性は「それでも収容施設の中にいるよりはずっと良い」と俯きながら笑顔を見せた。日本の入管行政には、こうした“実情”が見えているのだろうか。「彼らは在留資格はないけど、極悪犯罪人ではありません。彼らがこの国のために、人のためにできることは沢山あります。その想いを、権利を奪わないでほしい」。「ウィシュマが生きていけた社会を目指してー」、真野さんは今日も入管に向かう。

※この記事は、名古屋テレビとYahoo!ニュースによる共同連携企画として2023年2月17日に掲載されたものを再掲しました。
 

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