池上彰と考える!巨大自然災害から命を守れ ~南海トラフ地震を生き抜くには~

2021年9月5日(日)午後3時28分~4時55分

池上彰が徹底解説!メ~テレ取材陣が徹底取材!

池上彰と考える!巨大自然災害から命を守れ

出 演池上彰 竹下景子 井戸田潤 浅尾美和 島津咲苗(メ~テレアナウンサー)

2011年の東日本大震災以降、ジャーナリスト・池上彰さんとメ~テレ災害取材班が毎年制作している防災・減災特別番組の第10弾を9月5日に放送します。

この地方に大きな被害が想定される「南海トラフ地震」。皆さんはこの「南海トラフ地震」のしくみや対策についてどこまで知っているでしょうか?「大地震はなぜ起こる?」「襲ってくる津波の高さは?」番組では、いまさら聞けない南海トラフ地震の基礎知識について、実験などを交えて池上彰さんが解説します。

池上彰さんが現場取材「こんなところに盛り土が…」

7月に発生した静岡・熱海市での土砂災害では、違法性が疑われる「盛り土」が被害を大きくさせたと指摘されています。実は「盛り土」は私たちの身近な場所にも存在します。今回、池上彰さんは愛知県春日井市で「盛り土」を徹底取材。
「盛り土ってどんな場所にあるのか」「盛り土って危険なのか」
取材を通じ、「盛り土」についてさまざまなことが分かりました。

池上彰さん「東京のキー局では伝えられないことがある」

Q.ローカル局で防災取材を続けることの意義をどのように考えていますか?

池上彰「東京のキー局でも防災に関する番組を担当しますが、幅広く一般論しかできないんですよね。そこの圏域、地域の放送局の役割ってとても大事で、とりわけ人の命を守るのは、はっきり言ってキー局ではなく、それぞれのローカル局だと思っているんですね。だからこそ『ここはこういう所が危ないから気を付けましょう』ということを取り上げることにとても意味があるんじゃないかなと思います」

Q.メ~テレでの防災番組は今回で10回目を迎えます。これまでの放送を振り返って思うことは?

池上彰「その年ごとに、地震対策や水害対策を取り上げてきました。その時々によって災害の形も変わってくるし、科学的知見と最新情報に基づいた対策というのも取られるようになってきています。そういったことを伝えてきた10回だったかなと思いますね」

ゲストコメント

竹下景子さん
竹下景子さん

東日本大震災から10年がたって、地震と津波の本当の恐ろしさとか、備えるべきことをこれからも繰り返し自分の中に叩き込んでおかないといけないなと強く感じました。

井戸田潤さん
井戸田潤さん

身の回りのリスクを確認するところから始めないといけないなと感じました。
あと、エレベーターで“アレ”を確認することって大事ですね。

浅尾美和さん
浅尾美和さん

今回も知らなかったことをたくさん知ることができました。地震の揺れの長さについての解説は目からウロコでした。知ったことをたくさんの人に伝えたい。まずは家族から、それから近所の人、自治会の人たちに教えたいです。

放送内容

「間違いなく津波が来る」東日本大震災で生死を分けた判断
1分25秒の映像を検証 ※動画には震災の映像が含まれています。
English version

地震が起きて津波の危険がある時、揺れの長さで津波が来るかどうか目安になるといいます。東日本大震災の揺れの様子を記録した映像を、専門家の協力を得て独自検証しました。※動画には震災の映像が含まれます。ストレスを感じる方はご注意ください。

地震が起きて津波の危険がある時、気象庁は津波警報や大津波警報を出して避難を呼びかけますが、地震の揺れの長さで津波が来るかどうか目安になるといいます。

東日本大震災の揺れの様子を克明に記録した映像を、専門家の協力を得て独自検証しました。

「よし逃げろ、津波来る。電気止めて逃げて。津波来るから逃げなさい」(岩手県大船渡市 齊藤賢治さん撮影の映像 2011年3月11日)

東日本大震災で撮影された地震の映像の長さは1分25秒。撮影した齊藤賢治さんは、揺れ始めてから30秒ほどで撮影を始めたといいます。「津波が来る」と叫んだ齊藤さん。この時、なぜ津波が来ると感じたのでしょうか。

「こんなに長い地震であれば間違いなく津波が来る」

「あんなに大きな地震は初めてでした。結構揺れが長かったように思います。1分以上揺れているなという感覚で、こんな長い地震であれば間違いなく津波が来る、そう感じたので逃げろと」(齊藤賢治さん)

齊藤さんがいた建物は、揺れから約30分後に、津波に襲われました。

「東北地方は大きな地震・津波は数十年ごとに来ていますし、その間にも小さい津波は来ています。このくらいの地震だとこの程度の津波になるということは、体感的に理解しています」(齊藤賢治さん)


津波が来るか体感的に理解 判断の理由は「揺れの長さ」

地震の揺れの長さと津波との関連について、専門家は次のように指摘します。
「地震が起きた直後に、『海の地震』なのか『陸の地震』なのかを判断するのは難しいです。しかし『海の地震』であると、大きな地震である可能性があります。海の地震の東日本大震災では、揺れの長さは2分以上続きました。一方、陸の地震の阪神・淡路大震災では、揺れの長さは15秒程度でした。1分以上長く揺れる地震に遭遇したら、津波からの避難が重要です」(愛知工業大学地域防災研究センター 横田崇教授)


熱海土砂災害で注目の盛り土
池上彰が現地取材「崩れるリスクは?」見えた課題

今年7月に起きた熱海の土砂災害。発生源とされているのが「盛り土」です。盛り土された土地は地震で崩れる可能性もあるといいます。メ~テレと毎年防災特番を作り続けている池上彰さんが、愛知県春日井市の住宅地にある盛り土を取材しました。

静岡県熱海市で発生した土砂災害の起点にあったのが「盛り土」。静岡県は「不適切な工法による盛り土が、被害を甚大化させた」と指摘しています。

地盤工学の専門家は、盛り土の崩壊についてこう分析します。

「水が溜まりやすくて非常に緩い材料の状態の盛り土が熱海にあったということで、明らかに今回の熱海の盛り土は宅地の盛り土と違います。宅地盛り土というのは、過去からいろいろと被害を受けてきていますが、ほとんどが地震によるものです」(名古屋大学 利藤房男特任教授)

阪神・淡路大震災では、宅地開発のために谷を埋め立てた盛り土が地すべりを起こしました。盛り土された宅地が崩れる場合、大雨より地震によって引き起こされるケースが多いのです。

池上彰が盛り土造成地へ「身近な場所に盛り土が…」

「愛知県春日井市にやってきました。名古屋市の北のベッドタウンです。遠くに名古屋駅周辺の高層ビル群がかすかに見えています。そしてここには、高度経済成長期に盛り土によってつくられた宅地ができていますね。ずらりと団地が立ち並んでいます」(池上彰)

池上さんが訪れたのは、春日井市神屋町の住宅街にある盛り土造成地。

「こちら崖になっていますが、ここに土を盛って作られたというわけです。コンクリートの壁に穴が開いていますね。雨が降った時に水が出るように、排水設備がちゃんとできています。静岡県熱海の盛り土の場合、こんなものがありませんでした。だから一挙に崩れたと言われています」(池上彰)


階段を登った先には、公園が整備されていました。元々はどんな土地だったのでしょうか。熱海の被災現場にも入った春日井市の災害調査会社「テラ・ラボ」の協力を得て、地表データをドローンで分析しました。

造成前の1966年の航空写真をみると、一帯はなだらかな山で、一部の斜面は深くえぐれていました。今回撮影された写真と比較すると、かつては公園の辺りまで低い土地だったことがわかります。

さらに、ドローンによるレーザー測量を行った結果、推定2万2000立方メートルの土が盛られ、造成された土地だとわかりました。

「ここも元々は低い土地だったということですね。ここに盛り土をして、今のような公園になったというわけです」(池上彰)

池上さんが階段を登ってたどり着いた場所がまさに、“宅地盛り土”の上です。

「こうやって見ると、昔からある住宅街、静かな公園ということになっていますが、実はここ自体、盛り土によって造成された土地なのですね」(池上彰)

高度経済成長期に急増した盛り土造成地 対策取られるも近年の大地震で崩壊相次ぐ

この盛り土造成地ができた経緯について、専門家は…

「この場所は1971年に造成された所で、いわゆる『大規模盛り土』というものになります。元の斜面に土をくっつけて貼りつけている盛り土を『腹付け盛り土』といいます。宅地ですので平らにしなくてはならないので、平坦な面積を広げるために盛り土がされています」(名古屋大学利藤房男特任教授)

春日井市は、この造成地の地盤調査などによって、地震が起きた際に滑りが発生する可能性を計算した結果、「安全性が確認された」としています。

春日井市には、こうした盛り土造成地が303カ所あります。その多くは、高度経済成長期の宅地需要の高まりに応えるためで、起伏のある丘を削り、その土砂で谷を埋めるという大規模な造成が行われました。


「高度経済成長期には全国各地にこうやって造成地ができたわけですが、そこが崩れるリスクというのはどれくらい考えられていたのでしょう?」(池上彰)

「1961年に宅地造成等規制法という法律ができました。宅地造成等規制法というのは、水抜きをつけなさいとか、締固めをきちっとやりなさいという規定です。ただ、宅地造成等規制法制定の後も実は、地震の度に繰り返し宅地は崩れているのです」(名古屋大学 利藤房男特任教授)

法律の規制のもと造成された宅地盛り土が、大地震によって崩壊するケースが相次いだことを受け、国は2006年、法律の改正に踏み切りました。

自治体に対し、大規模盛り土造成地がどこにあるか調べてマップにまとめ公表すること、さらに地盤調査で危険な箇所を特定し必要なら対策工事をすることも求めました。


全国5万カ所の「大規模盛り土造成地」私たちにできることは?

それから14年の月日を経て、2020年にマップの公表が全国で完了。大規模盛り土造成地は、47都道府県で5万1306カ所存在することが判明しました。

一方で、危険性の有無を把握するための地盤調査まで完了している自治体は、春日井市を含め、全体の3.9%に過ぎません(2021年3月時点)。

「対策のペースは遅いですね。とはいえ、自治体で住民にどうやって説明するのかという問題があって、なかなか前に進んでいません」(名古屋大学 利藤房男特任教授)

では、私たちに今すぐできることはあるのでしょうか。自分の住む地域が大規模盛り土造成地に該当するかどうかは、自治体のホームページや国土交通省の「重ねるハザードマップ」から確認することができます。

「大規模盛り土造成地マップはハザードマップではありません。ですから危険だと言っているわけではなく、大規模盛り土が存在しますと言っているだけで解釈が難しいです。自宅が大規模盛り土の中にあった場合、現地を確認するということはできると思います。例えば着目点ですが、擁壁が老朽化している時は危険性がありますので、自治体に相談されるといいと思います」(名古屋大学 利藤房男特任教授)

「災害に備えるというのはいろいろ方法がありますが、ご自身がお住まいの場所がどういう所なのか。ハザードマップを見て水害の恐れはないのか、あるいは盛り土であるのかどうかということも含めて家の周りをまず総点検する。家族で話し合う。そういうことが大切ですね」(池上彰)

「盛り土の危険性は?」自治体の調査進まぬワケ

名古屋にも、盛り土によってつくられた宅地が多く存在します。大規模盛り土造成地は、名東区や天白区、緑区などに635カ所あります。これは、名古屋の東の丘陵地に土を盛るなどして、大規模な宅地造成が行われたためです。

一方、名古屋市が公表している大規模盛り土造成地マップには、「危険度を表したものではない」という説明書きがあります。名古屋市では、実際に危険なのかどうかという詳細な地盤調査に去年着手しましたが、その調査は多くの自治体でまだ終わっていません。

なぜ調査がなかなか進まないのか。専門家は、理由をこう分析します。

「まずは財源の問題です。危険性の有無を調べる調査には、地面に穴を掘るボーリング調査などが必要で、1地区1000万円から1500万円かかります。国からの補助はあるものの、盛り土造成地が何百カ所もあるような自治体にとっては大きな負担になります。そして特に難しいのが、地域住民の方に大規模盛り土というものを、どのように理解してもらうかという問題です。大規模盛り土マップは、危険とは言っていませんが、調査をした結果危険となることはありますし、その場合は宅地の資産としての価値が下がるなどの懸念があります」(名古屋大学 利藤房男特任教授)

さらに、対策工事が必要となった場合、住民が一部の工事費用を負担する場合もあるといいます。このようなことを住民に説明し、同意を得なければならないため、自治体の腰が重くなっていると指摘しています。


600人収容可能な巨大津波避難タワー
内部にテントやエアベッドも 愛知の海抜0m地帯で設置進む

南海トラフ地震で想定される最大の津波は、三重県鳥羽市で27m、尾鷲市で17m、津市で7m、名古屋市で5mなどとなっています。沿岸部の津波対策はどうなっているのでしょうか。巨大な津波避難タワーの建設が進む愛知県飛島村を取材しました。

南海トラフ地震では愛知や三重の沿岸部に広く津波が襲うとされています。想定される最大の津波は、鳥羽市で27m、尾鷲市で17m、津市で7m、名古屋市で5m、田原市で22mなどとなっています。沿岸部の津波対策はどうなっているのでしょうか。

名古屋市の隣に位置する、愛知県飛島村。名古屋港に面した人口約4800人の村です。この地区の防災減災推進委員長を務める立松栄治さん。

「昔は用水で田んぼから米を運び、用水路が生活道路でした。伊勢湾台風の前までは用水で生活していました」(飛島村 大用水地区防災減災推進委員長 立松栄治さん)

南海トラフ地震による津波の第一波到達は90分程度、津波の最大の高さは3mと想定されています。村のほとんどは海抜0m地帯という海よりも低い土地で、液状化も心配されています。村では、津波からの避難場所をどこに作るかが課題でした。

津波避難タワーの内部は? 東日本大震災をきっかけに津波対策進む

小学校の跡地に建てた津波避難タワー「北拠点避難所」です。1階の天井部分は、想定される津波の高さである3mを超える4m。土地の液状化には、地中に杭を打ち込むことなどで対応しました。また、地震の激しい揺れを抑える装置もついています。

避難所への入り口は、内外の階段と、スロープの3カ所。車いすのまま避難が出来るように工夫をしました。震度5弱以上の地震でカギの収納ボックスが開きます。誰でもすぐに避難所に逃げ込むことができます。

建物の中の階段を見ると、手すりが波打った形になっていました。

「(波打ち状の方が)つかみやすい。一直線よりも階段の段差に応じている」(大用水地区防災減災推進委員会委員長 立松栄治さん)


住民の要望取り入れ内部にはテントやエアベッドも

2階には100畳の和室があり、3階と合わせて600人を収容できます。また、20トンの貯水タンクを備え、食料も1週間分を備蓄しています。他にも、8人乗りボートを準備し、救援や物資の搬送などに使うことができます。

3階にはプライバシーを守るテントがあります。その中には地域の要望を取り入れたものが…

「エアベッドだから、短時間で膨らますのが電動でできます。足の不自由な人たちが床下では寝られないから、ぜひベッドをという要望がありすぐに導入してもらいました。ありがたいですね」(大用水地区防災減災推進委員会委員長 立松栄治さん)

「近隣の小さな一時避難所から人を集約して、最終的にここで避難生活をしてもらう場所になります」(飛島村総務課 大谷和久課長補佐)

2011年の東日本大震災をきっかけに、南海トラフ地震の津波対策は、各地で一層急がれました。飛島村は現在21の津波の避難所を設置。そのうちタワーが5カ所です。これから6カ所目を建設する予定です。


76年前襲った津波「古文書は大げさでなかった」
体験談聞き取り続ける女性

入り組んだ海岸線が特徴のリアス式海岸を有する三重県南伊勢町。76年前、高さ約6mの津波が漁師町を飲み込みました。繰り返されてきた津波の被害。当時の体験談を伝承しようと、聞き取りを続ける女性がいます。

「これは、みな津波で亡くなった人たちが供養されています」(濱地護さん)
1944年12月、南海トラフを震源とする昭和東南海地震が発生しました。当時、小学1年生だった濱地護さん(82)。南伊勢町神前浦にある慰霊碑には、濱地さんの友達の名前も刻まれています。

「僕の一つ年下の人も亡くなりました。浜で浮いていました。お母さんが物を取りに行って、そこを追いかけていって…」(濱地護さん)

南海トラフを震源域とする巨大地震と津波は、過去に何度も繰り返されてきました。町内には、江戸時代の宝永地震、安政地震の犠牲者を供養する石碑も残されています。

「私が伝えなければ…」体験談の聞き取りを続ける理由

崎川由美子さん(62)。南伊勢町で昭和東南海地震の体験談をまとめようと、聞き取り調査を続けています。

「濱地さんにここを案内してもらって、被害が大きかったのだなと思います」(崎川由美子さん)

志摩市の歴史資料館で館長を務めていた崎川さん。調査の始まりは、古文書に記された津波の記録でした。

「『高山のごとき大波となり矢のごとく潮煙を上げて里の浜へ向かい』とあります。津波の高さの10mくらいの波が沸き起こったと書いてあり、ちょっと大げさに書いたのかなと話していました。でも、東北の津波が来ました。本当に古文書には大げさではなく、きちんとしたことが正確に書かれていました」(崎川由美子さん)

大昔から繰り返されてきた地震と津波。

東日本大震災をきっかけに聞き取りを続けている崎川さんの思いは…

「私にとっては自分事です。毎日海を見ていますが、もし今地震、津波が来たらどうするのだろうと常々考えています。もう一回きちんと聞き取りを始めて、伝えなければと思っています」(崎川由美子さん)