池上彰と考える!巨大自然災害から命を守れ3

池上彰が徹底解説! メ~テレ取材陣が徹底取材!
2014年 5月20日(火) 午後7時~7時54分

池上 彰

池上 彰 石原良純 竹下景子 いとうまい子 井戸田潤 星恭博 鈴木しおり(UP!) 佐藤祐二 徳重杏奈(ドデスカ!)

福和 伸夫 教授(名古屋大学 減災連携研究センター長) 水谷 法美 教授(名古屋大学 大学院工学研究科社会基盤工学専攻)

ジャーナリストの池上彰さんと一緒に「南海トラフを震源とする大地震・その大津波」への備え考える防災特番の第3弾。 今回は「自分が住む土地の災害の歴史を知ること」の大切さ、次の世代に「被災の事実、その教訓」を語り継ぐことの重要性が テーマです。池上さんのわかりやすい解説、スタジオでの実験や実演で、地震と津波の基礎知識、対策を学びます。 池上彰さんは、「国や県などから発表される被害想定の数字に惑わされてはいけません。想定震度や津波の高さに驚いて諦めては ダメです。その数字が示す意味、自分が住んでいる場所でどんな被害が出るのかということを読み取って、自分や家族の命を守る ためにはどうすればいいのかを考え、住んでいる場所に適した対策を講じなければいけません」と、備えの大切さを訴えます。

「考える」ためのキーワード

1.予知は不可能

想定される「東海地震」は世界で唯一予知できる地震とされ、これまで国は調査・研究を行なってきた。しかし、2011年3月11日の東日本大震災から3年、あの日から研究者や専門家はあらゆるデータを調べ続けているが、その「予兆」は見つかっていない。現代の科学技術、最先端の観測機器でもM9の巨大地震の「予兆」を捉えられなかった。そこで国は、「東海地震の直前予知は不可能」と方針を大きく転換した。どうして「不可能」なのか?わかりやすく解説する。スタジオには、地震予知に使われている「ひずみ計」の見本も登場。その精度は1000万分の1mm程度の変形を捉えることができると言う。

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大地震の直前予知は不可能

地震予知とは、「時期」「場所」「規模」を、科学的に予測することです。東日本大震災では、海底の岩盤が200km×500kmの幅で大きく崩れました。これだけ大規模な断層破壊があったのですから、その前兆現象があったはずと考え、研究者はGPSなどありとあらゆる観測機器のデータを調べ上げました。しかし、3年後の現在も、前兆現象と言えるものは見つかっていません。そして「地震の直前予知は不可能」との結論に達しました。テレビや携帯電話、防災行政無線で伝えられる「緊急地震速報」を、「地震予知」と思っている人がいますが、それは間違い。緊急地震速報は、地震が発生したらその大きな揺れが伝わってくるのを直前に伝えようというもので、「事前予知」ではありません。東日本大震災は、現在の科学技術の限界と、先祖から伝わる教訓の大切さを、私たちに教えてくれました。

2.日本最大級の直下型地震

日本最大級の直下型地震というと、どの地震を思い浮かべますか?1923年(大正12年)9月1日の関東大震災?いいえ関東大震災は直下型地震ではありませんし、Mは7.9とされています。1985年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災は直下型地震ですが、Mは7.3です。実は日本最大級の直下型地震は、1891年(明治24年)10月28日の濃尾地震です。Mは8.0、岐阜県から愛知県だけでなく、隣の 滋賀県や福井県でも大きな被害が出ました。私たちはかつての大震災の「被災地」に住んでいるのです。しかし、その厳しい体験は、現在に語り継がれていません。番組では、その惨状を今に伝える歴史の証人とも言える品々を探しました。ここは被災地だったのです。次の大災害に備え、過去の災害の歴史を学びます。

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日本最大級の直下型地震「濃尾地震」

1891年10月28日に発生した濃尾地震。震源は岐阜県本巣市で、Mは8.0とされています。根尾谷断層帯が動いたいわゆる「直下型地震」で、日本で発生した直下型地震としては最大とされています。死者は全国で7273人、建物被害は全壊・焼失家屋14万2000戸。美濃地方と尾張地方が、被害の中心でした。災害に備えるには、自分が住んでいる土地の「災害の歴史を知る」のが第一歩です。しかし、現在そこに住んでいる人の殆どは、濃尾地震の被害を知りません。番組では、街中に残る濃尾地震を伝える石碑や、図書館の資料庫に眠る「当時の写真」、錦絵、地震の大火で溶けて固まった貨幣など、歴史の証人といえる品々を発見し紹介しました。その姿を知れば、「大震災」がより切実で現実的なものと感じられるはずです。地震の揺れへの対策は、家具の固定と家の耐震補強です。南海トラフ巨大地震に備えて、是非、対応してください。

3.「津波の前に街が浸水」とは?

想定される南海トラフ巨大地震が発生すると、三重県尾鷲市には地震発生から10分以内に白波をたてた大津波が襲うと言います。そして名古屋港には、地震発生から約2時間後に3.6mの大津波が到達するとされています。その姿は白波を立てた大津波ではなく、30分近くかけて水面がジワジワと上がってくると思われます。しかし、名古屋市内の一部の地域では、地震が起きてからすぐに「浸水」が始まると言います。津波がくる前にどうして街に水が流れ込むのか?その理由を、スタジオでの実験で解説します。

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津波の前に街が浸水 日本最大の0m地帯

太平洋沿岸部の街では「揺れたら高台へ」は、大地震による津波から命を守るための鉄則です。震源から遠い名古屋に津波が到達するのは、およそ2時間後と想定されています。しかし名古屋市は「一部の地域では地震直後から浸水が始まる」としています。津波が来る前に街に水が流れ込むというのです。その理由は河川の堤防が壊れるため。河川の堤防は外側をコンクリートで固められていますが、中は盛り土で地震の揺れで液状化する可能性があるのです。液状化で堤防が崩れ、河川の水が街に流れ込むというわけです。続けて大津波の海水が襲います。これは名古屋市内に限ったことでなく、濃尾平野南部の河川沿いの街はすべてにその危険性があります。濃尾平野南部は日本最大の0m地帯、街に流れ込んだ水はなかなか引きません。1959年9月26日の伊勢湾台風の経験者は、街が浸水したらどうなるのかを知っています。しかし、若い世代や転居して来た新しい住民は、その危険性を知りません。自分が住んでいる街は、災害時にどのような被害が想定されているのか。行政機関のHPや、窓口で配布されているハザードマップを見て確認しておく必要があります。

4.1週間

これまで国は、大地震に備え「3日分の食料を備蓄するように」としてきました。しかし、国が発表した南海トラフ巨大地震の被害想定では、「1週間分の食料を備蓄するように」となっています。どうして、いきなり1週間分になったのでしょうか、どうやって1週間分もの大量の食料を備蓄すればいいのでしょう?どんな食料を備蓄すればいいのでしょうか?そして、どんな献立にすればいいのでしょうか?戸惑うことばかりです。番組では、効率的な食料の備蓄方法、具体的な食事のメニューを紹介します。被災した人を力づける簡単に作れるメニューとは。

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1週間分の食料備蓄を

これまで国は、「大震災に備えて3日分の食料備蓄を」としてきました。しかし、南海トラフ巨大地震の被害想定では、「1週間分の食料備蓄を」となっています。1週間になった理由は、南海トラフ巨大地震では関東地方から九州地方までと広範囲に被害が及ぶとされること、高速道路や鉄道網などが寸断され交通機関のマヒが長期間に及ぶ可能性が高いこと、そして、販売店や流通機関などでの在庫管理が徹底され、いわゆる「流通在庫」が少ないからです。4人家族ですと、1日3食×4人×7日=84食、水は1人1日3ℓ(飲料用1ℓ、その他用に2ℓ)×4人×7日=84ℓで、2ℓのペットボトル41本となります。すべて並べると、およそ畳1畳半になります。これをすべて乾パンなどの災害用非常食で備蓄するのは大変です。また1週間に渡り乾パンばかり食べ続けるのも、無理があります。ではどうすればいいかというと、冷蔵庫にある食料品、乾麺やレトルトカレーなどいつも家に常備している食料品を「備蓄食料」として数え、その足りない分を乾パンなどにすればいいのです。冷蔵庫や常備している食料は、食べた分を買い足していけば、賞味期限切れ、消費期限切れになりません。これを「回転備蓄」(もしくは循環備蓄)と言います。そして、カセットガスコンロとガスボンベも備蓄しましょう。大災害の時は、家のお鍋をカセットコンロにかけて食事を作ればいいのです。食材はいつも使っている食品ですので、メニューも「いつも家庭で食べているもの」と同じです。大災害で、心身ともに疲れているとき、いつものメニューで心の疲れを少しとることができます。具体的な備蓄食料品のリストと、食事のメニュー例は、農林水産省のHPに掲載されています。参考にしてください。

5.災害を語り継ぐ

これまで国は、大地震に備え「3日分の食料を備蓄するように」としてきました。しかし、国が発表した南海トラフ巨大地震の被害想定では、「1週間分の食料を備蓄するように」となっています。どうして、いきなり1週間分になったのでしょうか、どうやって1週間分もの大量の食料を備蓄すればいいのでしょう?どんな食料を備蓄すればいいのでしょうか?そして、どんな献立にすればいいのでしょうか? 戸惑うことばかりです。番組では、効率的な食料の備蓄方法、具体的な食事のメニューを紹介します。被災した人を力づける簡単に作れるメニューとは。

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災害を語り継ぐ

三重県尾鷲市の小学校の中村佳栄先生が、担任するクラスの子どもたちと作った歌、「てんでんこ」の歌は、三陸に伝わる「つなみてんでんこ」の教えに倣ったものです。歌詞に込められたメッセージ、そして子どもたちが歌いやすく覚えやすいメロディであることなどから、この歌は三重県内の学校や保育園などへと広がっています。そして東日本大震災の被災地でも高い評価を得て、一部の学校では歌い始められています。しかし、宮城県東松島市では違いました。「歌詞」が直接的過ぎるというのがその理由で、大震災で傷ついた子どもたちには、まだ歌わせられないというのです。とは言え、大震災の教訓を次の世代、後世に伝えなければなりません。その土地、その土地の状況に応じた伝承方法、その時々に合った伝承方法が求められているのです。

1番 ♪ じしんが きたら あたまをまもれ     そのまま じっとだんごむし     ゆれがとまったら いそいでにげろ     ガラスとかべに きをつけて     てんでんこ てんでんこ てんでんこ 2番 ♪ つなみがくるから いそいでにげろ     とおくじゃなくって たかいばしょ     ここならへいきと おもっちゃだめ     もっと もおっと たかいばしょ     てんでんこ てんでんこ てんでんこ 3番 ♪ 100かいにげても からぶりばかり     それでも こんどもにげるんだ     じぶんのいのちは じぶんでまもる     つなみなんかに まけないぞ     おとなになっても わすれない     みんなのえがおが たからもの     てんでんこ てんでんこ てんでんこ