当初は「オーバーランぐらいかなと」…凄惨な墜落現場、救急隊員が伝え続ける教訓【中華航空機事故30年】

2024年4月26日 19:25
名古屋空港で中華航空機が墜落し、264人が亡くなった事故から26日で30年を迎えます。壮絶な事故現場で必死に人命救助や身元確認を行った方々に、積み重ねた30年間の思いを聞きました。

中華航空機事故から30年、それぞれの積み重ねた思い

 当時、真っ先に現場へと向かった救急隊員。

「『名古屋空港でエアーバス機が墜落』という指令がかかった。名古屋空港でバスが墜落・炎上?ハテナ?という感じで」(西春日井広域事務組合 東消防署長 高木幸彦 署長)

 徐々に明らかとなった、厳しい現実。

「オーバーランぐらいかなと勝手に解釈はしたんです。どうも墜落だとラジオで言っていたので、これは何かただならぬことかなと」(遺族の酒井光男さん)

 壮絶な現場で、懸命な活動が続きました。

「歯型で身元を判明して、早くご遺族にお返ししたいという気持ちが一番でした」(身元確認を行った歯科医 紀藤政司さん)

 中華航空機の墜落事故から30年。それぞれの立場で、いま何を思うのか。次の世代に、何を伝えていきたいと願っているのでしょうか。
 

酒井光男さんの両親

遺品のフィルムに残された両親の姿
 今年も迎えた「慰霊の日」。

 名古屋空港に隣接する「やすらぎの園」では、遺族らが犠牲者を追悼し、空の安全を祈りました。

 中華航空機の墜落事故で両親を亡くした酒井光男さん。愛知県岡崎市で、ラーメン店を営んでいます。

「当時のものはね、これですね。(遺品の)カメラの中に入っていた、フィルムとして入っていたやつを現像して、これはうちの親父とおふくろですね。2人が寄り添っている写真っていうのが、これが最後」(遺族の酒井光男さん)

 両親が楽しみにしていたという台湾旅行。出発の前日、こんなやりとりがあったそうです。

「親父が、旅行に行く前に靴を新調したということで『これ新しく買ったからお前のと一緒だよな、履いていくわ』と履いていったんです」(酒井さん)
 

遺族の酒井光男さん

遺体の毛布を1枚1枚確認、履いていた靴が…
 1994年4月26日。酒井さんの両親を乗せた中華航空機は名古屋空港で着陸に失敗し、乗員・乗客合わせて271人のうち264人が亡くなりました。

 当時、会社勤めをしていた酒井さんはすぐに空港へ向かい、他の家族とともに待合室に入りました。

「空港の待合室にテレビがあって、それでしか分からない状況だった。どういう状況が起きているか、病院に搬送されたのは何人いるか。全然わかんない状態で」(酒井さん)

 一夜が明け、バスで連れて行かれた場所は、空港の格納庫。多くの遺体が並ぶ中、掛けられた毛布を1枚1枚外して必死に両親を探したといいます。

「ずっとご遺体を見ている中で、下半身だけはズボンが焼けてなかった。洗濯のタグが『酒井』と書いてあった、あれ…と思い、ずっと下を見ていったら“その靴”を履いていた。だから『あ~』と思って親父だなと思ってね、もう泣きじゃくりましたね。本当にうわ~っという、あの感情ですかね」(酒井さん)
 

中華航空機事故での身元確認(愛知県警察歯科協力医会調べ ※当時)

延べ223人の歯科医が遺体確認
 母親の遺体は「歯型」が確認のきっかけになったという酒井さん。

 中華航空機事故では損傷の激しい遺体が多く、身元確認を主に歯型で行った遺体は、全体の16パーセントありました。

「歯というのはすごく硬い組織で、熱にも強いし、腐ることもないし、生前と死後のレントゲンと合わせて合えば、この人だということがわかる」(身元確認を行った歯科医 紀藤政司さん)

 犬山市で歯科医院を営む紀藤政司さん。遺体の確認には、延べ223人の歯科医が関わったといいます。

「遺体を取り違えてしまうってことがあるが、それは絶対あってはいけないことなので、一心不乱に歯型を見ていました。間違いのないように」(紀藤さん)
 

身元確認を行った歯科医 紀藤政司さん

身元確認のために重要な"歯型"
 愛知県警察歯科医会で副会長を務める紀藤さん。身元確認は「DNA鑑定」で行うケースが増えていますが、歯型は依然として、重要な確認手段の一つだと話します。

「個人識別に歯型を使うと迅速性、その場でわかるので、特によくあるのが、ご家族がいて『早く見つけてほしい、名前を教えてほしい』という場合、歯型による身元確認が有効な手段かなと」(紀藤さん)

 いざというときのために定期的に歯の検診を受け、データを更新しておくことが大事だといいます。

「カルテで現状のお口の中の状況も筆記できるでしょうし、状況に応じてはレントゲンもとって、生きている時のデータになるので、いざという時に役立つかなと思います」(紀藤さん)
 

救助活動の様子(提供:西春日井広域事務組合)

奇跡的に発見された3歳児
 墜落事故から流れた、30年という月日。救急隊員として当時、いち早く現場に駆けつけた高木幸彦さんは、今年度で定年を迎えます。

「もう本当に事故を経験した職員が私しかいませんので、最後の年にこのような形でお話しできるっていうのも何かの縁かなと思いますので」(西春日井広域事務組合 東消防署長 高木幸彦 署長)

 いまでも、現場の様子が目に焼き付いていると話します。

「主翼から尾翼の方は、もう火の手が上がっていて、その残骸の中には多数の傷病者、ご遺体がいたというのが鮮明に覚えていますので。とにかく無我夢中で隊長の指示のもとを走りまくっていたというのが記憶にあります」(高木さん)

 懸命の消火・救助活動が続く中、「生存者がいる」という声が。

 奇跡的に発見された3歳の男の子を抱きかかえました。

「全身ずぶ濡れ状態だったもんですから、3歳の男の子と思えないほどの重量感というか重みが30年経つが、いまでも残っていますね。その重みというのが」(高木さん)
 

大規模な消火・救助訓練

万一の事故に備え連携強化
 決死の救助活動が続く中、課題となったのが、けがの程度から治療や搬送の優先度を示す「トリアージタグ」です。

 当時は、消防や医療期間など組織ごとに形式が異なり現場での混乱につながったため、1996年に統一されました。

 また、航空機事故が起きた際の連携強化に向け、名古屋空港では毎年、自衛隊や警察、消防、医療機関などが参加し、大規模な消火・救助訓練が行われています。

「横の連携がないと、消防・警察・自衛隊が何をやっているか共有できない。空港訓練に関しては、現在も毎年1回やっている。やはり横の連携をしっかりしていこうと」(高木さん)
 

遺族会の副会長 酒井光男さん

「どう引き継いでいくのかが課題」
 今年度に定年を迎える高木さんの、いまの思いは──

「(事故から)30年という節目の年に自分の消防人生42年目になりちょうど60歳になるので、事故があったことさえ知らない職員も多数いるので、今年度中にひとつでもいいので後輩に伝えていきたいという強い気持ちがあります」(高木さん)

 墜落事故で両親を失い、遺族会の副会長もつとめる酒井光男さん。今年で70歳を迎えます。

 遺族の高齢化が進む中、事故をどう語り継いでいくか、皆で考えていかなければならないといいます。

「ただ事故が起きて30年というだけで、今後こういう施設だとか慰霊式だとか残してもらわないと、維持をしていかないと、忘れた時に事故は起きる」(酒井さん)
 

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