2006年3月29日 25時43分~26時38分放送
 
二つの観音像
南京・名古屋 交換された仏像を追う
 
スタッフのつぶやき
 
ディレクター  村瀬史憲
  日中戦争の歴史認識については、今なお靖国問題や南京大虐殺についてのとらえ方で、大きな溝が横たわり、政治的な障害ともなっている。南京大虐殺が誇張されたものか、そうでないのか、それをこの企画を通して問うものではないが、歴史を原点に戻して検証する意味はあるだろう。まず、本来人々の心の救済と平和を目指す仏教さえも戦争に加担させられていった事実。南京の仏像と名古屋の仏像が交換され、日中融和の証とされながら、戦後、仏像は人々の前に触れられることなく、一方は破壊され、一方はお堂の中に封じ込められてしまった。二つ目は名古屋と南京の不思議なつながりである。南京に仏像を贈った名古屋の篤志家、そしてそれを支えた名古屋周辺の仏教界。それを取り持ったのが名古屋新聞の従軍記者であった事実。さらに南京攻略の中心人物松井石根は南京の歴史遺産を崇敬しながらも破壊せざるをえなかった。その彼が愛知県出身であること。さらに、南京陥落後の都市整備に奔走したのが、後に戦後の名古屋復興計画に手腕を発揮した後に名古屋市助役となる田淵寿郎であること。また、南京政府の統帥、汪兆銘が逃避した先が名古屋であり、名古屋で亡くなった事実。日中国交回復のきっかけとなった1975年のピンポン外交も舞台は名古屋だった。民放としてはじめて中国取材を許可されたのは実は当社であったことも偶然だろうか。そして、今、名古屋と南京は友好提携都市の関係を結んでいる。名古屋人さえも忘れてしまった観音像のたどった道をさかのぼることで、あの不幸な日中関係時代のつまずきの原点を見つめなおし、これからの日中関係のありかたを示唆できればと思う。
 
 
放送内容について