Dの部屋 スクープ 担当ディレクターたちが語るげりらっパの裏側 誰にも言えない・・・

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9月23日

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No.205

最終回

今まで作った物を全て処分するということで、久しぶりに見た小道具、大道具たち。どれも懐かしく、今でもハッキリと記憶が甦ってきます。
大道具をトラックに積んでいる時、この期に及んで「要る物あるよ!」と言い出した実験ディレクター。他のスタッフが「ないです!」と言っても「ある!ある!!やだよ、俺!!」と駄々をこね…。それほど強い想い入れがある作品たちなんです。その量の多さはこの6年半の長さを物語っています。

私がこの番組で働かせてもらうようになってから約3年半。げりらっパの歴史の半分ぐらいしか知らないけれど、もっともっと長い間一緒に仕事をさせてもらったような気がします。それくらい私にとってこの番組はかけがえのないものでした。この3年半、今まで生きてきた中で一番頑張ったと自信を持って言えます。思えば、仕事の奥深さを知ってから、毎日局にいた気がします(笑)自宅にいる時間より局にいる時間の方が確実に長かったです。局は第2の家のようなものでした。自宅かと思えるほどに居心地がよく、違和感なく居座れる場所でした。

ミーハーな私は、さまぁ~ずさんに会いたくて、生で見たくて、そんな単純な理由だけでこの業界に入りました。まさか自分がこんなに長続きするとは思ってもみませんでした。この仕事を始めたばかりの頃はとにかく辞めたくてしょうがなかったんです。でもロケの度に優しい言葉をかけてくれ、励ましてくれたさまぁ~ずさん。第一線で活躍している方が一番下っ端に気遣って声をかけてくれるなんて、予想外のことでいつも本当に嬉しかったです。「この人たちのために頑張ろう!」と思えたからこそここまで続けてこられたんだと思います。大袈裟に言っているわけでなく、本当に。大竹さん、三村さんが本当に大好きです。もし他の出演者の番組だったらもうとっくに辞めていたかもしれません。いつしか気づけば、げりらっパ史上で一番長くもったADになっていました。本格的に仕事を任せられるようになってからは、仕事の楽しさがやっとわかるようになり、そうして月日が経ちました。私は出足が遅かったのでちゃんとした編集をさせてもらうようになってからまだ1年半しか経っていません。ようやく編集の面白さがわかりかけてきた頃に、ディレクターを目指そうとやっと思えた頃に、結婚するまではこの番組で生きていこうと覚悟を決めた頃に…番組の終了が決まりました。本当に寂しくて惜しくてもったいなくて悲しくて複雑な気持ちでいっぱいです。

番組に対する想いが強い分、終わってしまうのが惜しい最終回。初めてスタッフ皆揃ってリアルタイムでオンエアを見ました。お店で飲みながら大きなスクリーンで。本編の前に私が作っている1分PRが流れるのですが、ディレクター全員に見られるのはとても緊張しました…。そして本編。大きな笑い声が飛び交う中、皆で見た最終回。2002年から始まったげりらっパ。私的には放送終盤の、過去のロケで訪れた場所が何箇所か流れた後に、同じ場所の現在の風景が流れた時、「本当にもうこの名古屋の地にはさまぁ~ずさんはいないんだなぁ」と実感が湧き、ジーンと熱い想いが込み上げてきて…。「この演出うますぎだよ…。」と担当ディレクターの腕を改めて尊敬しそのセンスを羨ましがりながら、一視聴者になり涙が出てきました。演出家の思うツボですよね。見終えた後、しんみりしてしまいました。
もうこの出演者の方々と、個性豊かなスタッフ達メンバー全員が集まって、一緒に仕事をすることはないかもしれないけれど、何年後になろうと、いつの日か、特番か何かでまた皆さんに会えることをずっとずっと強く願っています。6年半、お疲れ様でした。
長くなってしまいましたし、こうして文章を書いている間も油断すると泣きそうになってしまうので、そろそろやめておきますね。

私も、さまぁ~ずさんのお二人に名古屋に戻ってきてほしい皆さんと同じ視聴者の1人です。
番組を応援してくださった皆様、今まで本当にありがとうございました。 また「げりらっパ」が再開する日を夢見て…。

今週のおまけ

以前、げりらっパのロケで訪れたことのある、思い出深き場所の数々。今はもう、そこにさまぁ~ずの姿は、ない…。

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