格納庫に並ぶ遺体に見覚えのある靴…悲劇の責任を問い続けた遺族と弁護士の闘い【中華航空機事故30年】

2024年4月26日 18:10
名古屋空港で中華航空機が墜落し、264人が亡くなった事故から26日で30年を迎えます。悲劇を2度と繰り返してはならない──。遺族は、事故の教訓を後世に伝える大切さを訴えています。

台湾旅行に出かけた酒井光男さんの両親。帰りは中華航空の便に…

遺品のフィルムに残る両親の姿
 愛知県岡崎市でラーメン店を営む、酒井光男さん。

「当時のものはね、これですね。(遺品の)カメラの中に入っていた、フィルムとして入っていたやつを現像して、これはうちの親父とおふくろですね。2人が寄り添っている写真っていうのが、これが最後」(遺族の酒井光男さん)

 台湾へ旅行に出かけた酒井さんの両親。帰りは中華航空の便に乗っていました。出発の前日、こんなやりとりがあったそうです。

「親父が、旅行に行く前に靴を新調したということで『これ新しく買ったからお前のと一緒だよな、履いていくわ』と履いていったんです」(酒井さん)
 

中華航空機事故で両親を亡くした酒井光男さん

格納庫に並ぶ遺体の中に見覚えのある靴が
 1994年4月26日。酒井さんの両親を乗せた中華航空機は名古屋空港で着陸に失敗し、乗員・乗客合わせて271人のうち264人が亡くなりました。

 当時、会社勤めをしていた酒井さんはすぐに空港へ向かい、他の家族とともに待合室に入りました。

「空港の待合室にテレビがあって、それでしか分からない状況だった。どういう状況が起きているか、病院に搬送されたのは何人いるか。全然わかんない状態で」(酒井さん)

 一夜が明け、バスで連れて行かれた場所は、空港の格納庫。多くの遺体が並ぶ中、掛けられた毛布を1枚1枚外して必死に両親を探したといいます。

「ずっとご遺体を見ている中で、下半身だけはズボンが焼けてなかった。洗濯のタグが『酒井』と書いてあった、あれ…と思い、ずっと下を見ていったら“その靴”を履いていた。だから『あ~』と思って親父だなと思ってね、もう泣きじゃくりましたね。本当にうわ~っという、あの感情ですかね」(酒井さん)
 

海渡雄一 弁護士(1995年)

中華航空とエアバス社を相手取って提訴
 事故の責任は、どこにあるのか。

 遺族は原告団を作り、中華航空や機体を製造したエアバス社を相手取り、損害賠償を求める裁判を起こしました。

 弁護士の海渡雄一さんは、中華航空機墜落事故の裁判で遺族側の代理人を務めました。

「中華航空の重大な操縦ミスということと、エアバスの設計のミスという2つを論点にして、訴訟の提起へまとまっていったわけです。訴訟を起こしてからも非常に長い時間がかかって、一審判決、二審判決、最高裁に進んでいったという経緯でした」(海渡雄一 弁護士)
 

海渡雄一 弁護士

エアバス社の責任は最後まで認められず
 国の事故調査委員会の報告書によると、副操縦士が操作を誤り着陸をやり直す自動操縦モードになったため、機体が上昇。

 手動に切り替えて着陸しようとしましたが自動操縦は解除されず、機体は失速して安定性を失い、墜落しました。

「海外のエアラインが起こした事故でもあるし、エアバス社の設計が正しいかどうかが問題となっている訴訟でもあったので、証人が全員外国人の方でした。英語とフランス語が飛び交う法廷でした」(海渡弁護士)

 2003年、名古屋地裁は「操縦ミス」を認め、中華航空に対して総額約50億円の賠償金の支払いを命じました。

 一部の原告は最高裁まで争いましたが、エアバス社の責任は最後まで認められませんでした。

 しかし事故後、エアバスは、自動操縦中に手動操作が加わると自動操縦が解除されるよう機体の仕様を変更しました。

「エアバスに対する請求は、このような設計にしたこと自体について欠陥とはいえないということで最高裁まで争いましたけれども、その部分の主張が認められませんでした。しかし、設計が変更されるという形にはなったわけです」(海渡弁護士)
 

1月に羽田空港で発生した事故

過去の事故を教訓として伝えていくことの大切さ
 1985年に群馬県の御巣鷹山で日本航空の旅客機が墜落した事故でも民事裁判に関わった海渡弁護士は、1月に羽田空港で発生した事故が強く印象に残っているといいます。

「海上保安庁の飛行機と日航機が空港の中で衝突してしまうという、非常に驚くべき事故が起きたんですけれども、乗客の方々の退避があと何分か遅れていたら、みんな炎に包まれて亡くなっていた可能性がありますよね。乗員の訓練が非常に行き届いていて、極めて正しい対応をされた」(海渡弁護士)

 そして、過去の事故を教訓として伝えていくことの大切さを訴えます。

「日本航空という会社そのものが、御巣鷹山の事故を教訓にして、非常に安全性を重視するような企業文化を育んできたことの成果だと僕は思います。そういう意味で、中華航空機の事故のことをこういう節目を取り上げていただくということが、非常に大きな意義があるだろうと思います」(海渡弁護士)

 海渡弁護士とともに裁判を闘った遺族の酒井さんも、羽田空港の事故を祈るような思いで見ていたといいます。

「事が終わってみたら全員無事に脱出した。機長が最後に確認をして降りた。本当に良かったと思います。御巣鷹山とか、中華航空機とかの事故の教訓がどこかで生きているんだと思う」(酒井さん)
 

「やすらぎの園」では、遺族らが犠牲者を追悼

事故から30年間、変わらぬ願い
 今年も迎えた「慰霊の日」。

 名古屋空港に隣接する「やすらぎの園」では、遺族らが犠牲者を追悼しました。

「本当にあの事故で人生は変わりました。このような事故が二度と起きないよう、これからも祈っていきます」(遺族会 山本昇会長)

 事故から30年間ずっと、そして今後も変わらない願い。この空が、いつも安全でありますように──。
 

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