大学時代から日本代表に選ばれ、アジアナンバー1ガードと呼ばれた佐古は、日本バスケットボール界のスーパースターである。
ところが、華やかに見えるそのキャリアとは裏腹に佐古はもがき苦しんでいた。
2000年4月、当時佐古が所属していたいすゞは日本記録となる5連覇に挑んでいた。
しかし、前半終了間際、佐古が鼻骨を骨折。
この結果いすゞはリーグ史上初となる5連覇を逃し、佐古は戦犯に祭り上げられた。
『あのときにいろんな周りの人間がね、 お前が鼻を骨折しなければ5連覇できたと簡単にものを言うわけですよ。 今話をしていても悔しいんだけど、涙とか出てきちゃうんだけど・・・・
やっぱり選手は勝ちたいんですよ。 だけど自分たちをサポートしてくれる人間でもね、そういうことを軽く言われたときに、 名誉とかあんなものはクソ食らえかなって。』
これがきっかけで家族が佐古は家族のために闘うことを心に決めた。
あれから5年の月日がたった。3シーズン目となるアイシンでのプレーオフ。 佐古率いるアイシンはセミファイナルでトヨタを撃破し、ファイナルにこまを進めた。
ファイナルは5戦で先に3勝したほうが優勝となる。
ところが、東芝相手にまさかの2連敗。
相手に王手をかけられたアイシンだったが、ここから驚異的な巻き返しを見せる。 第3戦、4戦と2連勝し、このシリーズをタイに戻す。
そして迎えた運命の第5戦。
立ち上がり、佐古が冷静にゲームをコントロール。
巧みにチームメートへパスを供給し、流れを引き寄せる。
ところが前半終了間際、佐古が自ら点を取りにいったそのとき、アクシデントが起きた。
アキレス腱断裂。全治6ヵ月。
そして司令塔を失ったアイシンは2点差で惜敗。
チームにとって佐古の存在は大きかったが、そのケガを責めるものは誰もいない。
信頼をよせるチームメート、スタッフのため、そして愛する家族のために佐古賢一はきっと戻ってくる 。
|