能登の被災地で不足が続くボランティア 解決のカギは「技能を持った人材の育成」と「資格制度づくり」

2024年3月14日 13:01

能登半島地震の被災地で山積する課題の一つに、ボランティアのスムーズな受け入れ態勢づくりがあります。“ボランティア元年”となった1995年の阪神淡路大震災以来の歴史をひもときながら、解決につながる制度のあり方を考えました。

志賀町で活動する一般ボランティアら(1月28日)

 私は2月16~23日、テレビ朝日系列の北陸朝日放送(HAB、金沢市)で、能登半島地震関連ニュースの統括デスク業務を担いました。この間に取り上げる機会の多かったニュースが、被災地でのボランティア活動に関する話題です。

 発災当初は「活動は控えて」と言われていた一般ボランティアの受け入れが始まったのが1月下旬でした。当初は道路事情もあり、1日4時間ほどだった活動時間が一部の地域で2月19日から1時間以上延長され、2月下旬には、宿泊型の一般ボランティアの受け入れが始まりました。一般ボランティアの受け入れはまだまだ少人数ですが、「活動時間が短い」というフラストレーションは、徐々に解消しつつあります。

 一方で、石川県の発表によると、現地で活動できた一般ボランティアは、3月5日時点で延べ7116人。事前に登録された人数は約3万600人で、希望者の4分の1ほどしか活動できていない状況です。

 私も石川県の一般ボランティアに事前登録していましたが、募集開始を知らせるメールが来ていざ応募しようとすると、すぐに「受付終了」となり応募できなくなってしまいました。同じような経験をした人も多いのではないでしょうか。一般ボランティアをめぐっては、存分に活動できない状況がしばらく続きそうです。

 

穴水町の避難所で「足湯」支援するレスキューストックヤード

「自分で考えて、どんどん行けばいい」

 今後は、より多くのボランティアが活動しやすい環境づくりが重要になってきます。その糸口を考えるうえで、ヒントになる言葉がありました。

 「ボランティア活動については、もう一度原点に立ち返って考え直さなきゃいけないんじゃないか。自分で考えて、被災者の所へ行ってどんどんやればいい」

 これは、名古屋のNPO法人「レスキューストックヤード」で常務理事を務める浦野愛さんの言葉です。レスキューストックヤードは1995年の阪神淡路大震災をきっかけに結成され、これまでに50カ所以上の被災地で支援活動の経験を持つ「ボランティアの専門集団」です。彼らは、発災直後の1月3日から穴水町で避難所の支援活動をしていました。活動が制限されている一般ボランティアについて、むしろ「自分で考えてどんどんやればいい」というわけです。

 災害時のボランティアが定着するきっかけとなった1995年の阪神淡路大震災当時は、駆け付けたボランティアの活動を統括・調整する組織がまだありませんでした。多くの人が「被災地を助けてあげたい」と現地に入り、自分たちでやれることを探して活動しました。その結果、受け入れ側のニーズとのミスマッチなどの課題も浮き彫りになり、ボランティアを受け入れる何らかの組織の必要性が広く認識されるようになりました。

 その後、2011年の東日本大震災を経て、自治体の「災害ボランティアセンター」で志願者を受け入れる仕組みが整えられます。浦野さんは、災害ボランティアセンターの意義を認めながら、歯がゆさも感じているといいます。

 「自分の頭で考えて被災者の所へ行って、どんどん支援をすればいい」。阪神淡路大震災当時のように積極的に行動する人が、もっといてもいいのではないか? そうすれば復旧・復興のスピードはより加速するのでは、という指摘です。

 これには私も納得しました。やみくもにボランティアに行くのは危険だが、希望するボランティアがたくさんいるのに活動の場がないのはもったいない、というわけです。

 

イタリア中部地震の被災地 アマトリーチェでの筆者(2016年10月)

イタリアに学ぶ制度設計

 能登の被災地での目下の問題は、現地でボランティアをコントロールする人の不足です。

 災害ごみを運ぶトラックの台数なども十分ではありません。また、ボランティア志願者それぞれがどのようなスキルを持っているのか、事前に詳しく把握できないもどかしさもあります。

 さらに、そもそものボランティアのスキルがある人材が増えれば、課題の解消につながるはずです。

 阪神淡路大震災の被災地には、発災から1年間で延べ130万人ものボランティアが駆けつけました。今回の能登半島地震では、約3万人の志願者がいます。これらの志願者について「ボランティアをコントロールできる人材」「より高度な活動ができる人材」など、スキルに応じてあらかじめ分類する「ボランティア技能資格」のような制度を設けてはどうでしょうか。

 制度設計のヒントは、日本と同じく地震の多い国として知られるイタリアにありました。

 2016年8月、イタリア中部でマグニチュード6.2の地震があり、300人近くが犠牲となりました。その2カ月後、休暇で訪れた被災地で出会ったのが、「職能支援者」と呼ばれる人たちです。職能支援者は、災害時の支援を希望し、訓練を受けて政府当局に登録している一般市民です。トラックの運転手や調理人といった300万人ほどが、災害発生時には国の要請で被災地に出向きます。

 日本でも、こうした制度を手本にしてはどうでしょうか。ボランティアを希望する人には、より高度な技能を積極的に身に付けるのを促すことになります。

 レスキューストックヤード代表の栗田暢之さんは、「能登の被災地では、調理師(のボランティア)が活躍している。災害時には特別な技能を持つ人が必要で、そういった人をあらかじめ登録したり、資格制度を設けて技能を身につけてもらったりするのも一案」と評価します。

 ボランティアという言葉のもともとの意味は、「自発的な意思で他人や社会に貢献すること」です。その「自発的な意思」に対して「今は状況が整わないので我慢してください」と言わざるを得ないのはとても残念で、できる限り解消されるべきです。

 

七尾市の被災現場(2月24日)筆者撮影

本義に立ち返って考える時期

 金沢市での業務を終えた2月24日、七尾市の中心部を歩きました。七尾の春を彩る祭り「青柏祭」が行われる通りは、道路のあちこちにひび割れが見られ、何軒もの家屋が倒壊したままです。

 地元の人たちが楽しみにしていた青柏祭のクライマックス「でか山」の巡行は、中止を余儀なくされました。「ボランティアは来てほしいが、もっと被害の大きな場所に行っている。仕方がない。がれきの撤去はまだ先だろう。でか山、見たかった……」。話を聞いた地元の人は、こうつぶやきました。

 阪神淡路大震災の“ボランティア元年”から30年近くが経ちました。国も自治体も支援団体もボランティアの本義に立ち返り、今の制度のままで良いのかどうか、真剣に考える時期に来ていると感じます。

(メ~テレ災害担当デスク 柴田正登志)

 

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