「桜の名所」かつては“特攻隊の兵舎” 自らを散る桜に重ねた隊員たちの思い 愛知県豊田市

2023年4月1日 15:09
愛知県豊田市にある「愛知少年院」の敷地内には一般の人も入れる桜並木があり、桜の名所となっています。戦時中は海軍の飛行場があり神風特攻隊の訓練場となっていました。今と同じ満開の桜を眺めた隊員たちの残した思いとは。

桜の小枝をさして記念撮影する草薙隊の隊員(豊田市郷土資料館所蔵「草薙隊の栞」より)

隊員たちを見送った戦時中から残る桜並木
 愛知県豊田市にある「愛知少年院」。約200本のソメイヨシノが満開を迎えています。桜と一緒に記念撮影をする近所の人の姿もありました。

「桜並木のトンネルになっていて車で通っていてもきれいだし、歩いて通っいて気持ちがいいですね」
「桜がきれいかなと思って来ました。もうきょう行かなきゃダメだと思って。本当に幸せという感じ。気持ちが落ち着きますね」(近所の人)

 春になると地元の人々が訪れる桜並木。中には、樹齢が80年ほどの桜もあります。

「ここら辺の桜については、かなり朽ち果てているので、この部分の並木は全部、戦時中から残っているものだと思われます」(愛知少年院 宇田正志次長)

 敷地の3か所にある古い桜並木。ゴツゴツとした太い幹から空へと枝を広げ花を咲かせています。
 

桜の小枝をさして記念撮影する草薙隊の隊員(豊田市郷土資料館所蔵「草薙隊の栞」より)

かつては海軍の飛行場 神風特攻隊の兵舎も
 かつて、この場所には海軍の飛行場がありました。

 敷地の中には、通信施設として使われたとみられるコンクリートの建物が残されています。

「昭和23年5月に法務省に所管替えになる前は、旧海軍の航空隊の施設でした。この一帯が航空隊の基地だった」(愛知少年院 宇田正志次長)

 戦後の1948年、アメリカ軍が上空から撮影した名古屋海軍航空隊の基地の写真。

 東西に帯のように延びているのは、滑走路。基地の跡地が、現在の愛知少年院になっています。一列に並んだ木々が、今も残る桜並木です。

 そして北側には、神風特別攻撃隊の兵舎がありました。
 

豊田市郷土資料館所蔵「草薙隊の栞」より

自らを“散る桜”に重ね、出撃していった隊員たち
 戦局を打開するため大戦末期に編成された特攻隊。ここ愛知で、訓練を重ねました。

「これは草薙隊(くさなぎたい)の第2次隊の隊員の写真です。この草薙隊というのは特攻隊だったんですね。本当に若い人たちばかり。ここで飛行訓練を終えた人たちが特攻として沖縄本島に向かったと聞いています」(愛知少年院 宇田正志次長)

 1945年4月、「草薙隊」の出撃前に撮影された集合写真には、桜の小枝を頭にさした隊員たちの姿が残されています。この時、敷地内の桜は満開でした。

「今、少年院の中にいる在院者と変わらない年齢の人がたくさんいるので、そういう人たちが短い命を終えたというのは非常に悲しい出来事だったなと思います」(宇田次長)

 出撃などを報じた当時の新聞記事には「いまぞ散る“誇の桜”汚すまい特攻魂」の見出しが…特攻隊は当時、散る桜にたとえられていました。
 

隊員たちを見送った桜が今年も咲き誇る(愛知県豊田市 愛知少年院敷地内)

【草薙隊が残した遺書】

「散れよ散れよ桜の花よ、俺が散るのにお前だけが咲くとは一体どうゆう訳だ 俺はにっこり笑って出撃する」
「花は桜木 艦爆乗りは 若い命を惜しみやせぬ 花の蕾の二十(はたち)で散るも 何んで惜しかろう国の為」

 寄せ書きに最期の思いをしたためた隊員たち。多くの若い命が、自らを桜の花と重ね、飛び立っていきました。

 あれから78年…特攻隊を見送った桜は、今年も平和への祈りを捧げるように春の訪れを告げています。

 (3月31日 15:40~放送 メ~テレ『アップ!』より)
 

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