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「今度は助ける側になりたい」12歳で心臓移植、受け継いだ命で目指す「医療の道」

2022年9月29日 21:24
7年前、難病を患いアメリカで心臓移植した愛知の少年。いま大学生となり、医療の道を目指し学びに励んでいます。
 中部大学の講義を真剣な眼差しで聞いているのは、半田市に住む中部大学2年の西尾敬太さん20歳。

 この日の授業のテーマは「生体の計測」。医療を学ぶきっかけとなったのは、子どもの時のある経験でした。
 

小学6年の西尾敬太さん(2014年)提供:けいたくんを守る会

小学6年で重い心臓病を患う
 2014年、当時小学6年だった敬太さん。水泳に打ち込んでいましたが、突然体調不良に見舞われ、「特発性拡張型心筋症」を患いました。

「あまり今までは“生きる”ことを大切にしていなかった。今はもっと大切に意識しているけど、自分が病気にならなかったらたぶん意識していなかったと思う」(西尾敬太さん 当時12歳)

 敬太さんの命をつないでいたのは、肩からかけた黒いかばんとつながる「補助人工心臓」でした。

「機械が止まるなどした場合には、敬太くんの心臓がもたないのは明白」(担当医)

 

2014年の募金活動

子どものドナーが見つかりにくい国内での移植は断念
 生きる道は心臓移植しかありませんでしたが、子どものドナーが見つかりにくい国内での移植は断念。

「ご協力よろしくお願いします」

 2015年、支援団体による募金などで約1億8000万円の善意が集まり、アメリカでの移植手術が叶いました。手術は無事に成功し、元気な姿で日本に帰ってきました。

「自分の心臓がちゃんと脈を打って指の先まで脈が伝わってきた。自分の力で生きていると感じた。地元のみんな、お医者さん、ドナーに助けられてきたから、今度は助ける側になりたい」(西尾敬太さん 当時13歳)
 

西尾敬太さん(20)

「毎日死と隣り合わせですごく怖かった」
 移植から7年。大学2年になった敬太さんが当時を振り返りました。

「毎日死と隣り合わせですごく怖かった。顔も知らない多くの人たちが僕を助けるために支援してくれた。感謝しかなくて、協力がなければ今の自分はもちろんいないし。今こうやって元気でいるよということが伝わればうれしい」(西尾敬太さん)

 敬太さんは今、医療の道を目指しています。きっかけは、主治医からかけられた言葉でした。

「患者として診てきた人たちが、僕らと同じ医療チームで働いてくれたらすごいよなと言われた。救われた側から救う側に回るのっていいなと思って。移植をすることで元気になった姿が希望になれたらと思って。小児の補助人工心臓を扱う臨床工学技士になりたいと思った」(西尾敬太さん)

 心臓病を患いながらの学生生活。大学も入学当初から敬太さんをサポートしてきました。

「まさに生きている彼自身の存在が、医療従事者や同じような心臓の病気を抱えた方々にとって貢献している。彼がやりたいことがやれるように、当たり前の生活ができるように少し見守る、そういった関わり方ができれば」(中部大学生命健康科学部 中井浩司 准教授)

 

母・紀子さんと西尾敬太さん(20)

母親は息子の「夢」を応援
 8月、敬太さんは、診察のため名古屋の病院へ。

 母親の紀子さん。心臓移植から7年経った今でも不安が尽きないといいます。

「移植が終わってから、機能も低下して不整脈も出ている。いつも診察結果が出るまでは緊張というか、ハラハラしている」(母・紀子さん)

 移植された心臓を自分の体が拒絶しないよう、免疫抑制剤を一生涯飲み続ける必要があります。

 紀子さんは、それでもあきらめない敬太さんの夢を応援しています。

「将来、自分の仕事に就いた時に、患者さんの立場になって痛みを知るということではすごく大事なことだと思う。頑張ってね」(母・紀子さん)

 

西尾敬太さん(20)

受け継いだ命を存分に生きる
 心臓移植後、敬太さんは再び水泳を始め、世界中の移植者が集う「世界移植者スポーツ大会」で銅メダルを獲得。
 友人との旅行も楽しむなど、受け継いだ命を存分に生きています。

「人の命をいただいて生きているから、2人分の人生を背負って生きていこうと思いました。自分と同じような立場の患者や家族に寄り添った、自分だけにしかできない心のサポートまでできるような臨床工学技士になれたらいいなと思っています」(西尾敬太さん)

(9月29日 15:40~放送 メ~テレ 「アップ!」より)
 

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