2007年11月14日(水) 深夜2時15分~3時10分放送
 
幻の第13話
~翻弄された中国報道~
平成19年度文化庁芸術祭参加
 
 
1976年中国大慶 鄧小平批判大会
 
 1972年。日本は電撃的に中国との国交を回復した。きっかけはその一年前、名古屋が舞台となった世界卓球選手権大会であった。中国と日本の新しい関係は、まさに名古屋から始まったのである。
 メ~テレは、民放として当時初めて中国国内の取材を許されたテレビ局だった。1971年秋に北京で開かれたジュニア卓球大会、アジア・アフリカ卓球大会を皮切りに、文化大革命真っ只中の北京、日本軍の爪跡が深く残る東北地方、希望に満ちた人民軍など10年間に渡り中国各地を取材し続けた。メ~テレのアーカイブには、今もその貴重なフィルムが残っている。
 その中に完成していたのに、32年もの間放送されなかった番組がある。それが、「中国の顔 第13話 ~つぎの世代へ ひき継ぐ者の証言~」である。フィルムには「1976年12月26日放送と記されていた。番組では、「走資派」鄧小平に対する闘争を押し進める重要性を、若者たちが熱く語っていた。
 1976年、中国は政治の時代だった。周恩来、毛沢東が相次いで死去。毛沢東の文化大革命を引き継ぐと思われていた「4人組」の逮捕、そして「走資派」として排除されていた鄧小平の復権…。第13話は、中国の政局変化をまともに受けて「幻」となってしまった。中国の政局が変ると放送できなくなる番組とは一体?
 あの時熱く政治を語っていた中国の若者たちは今何をしているのか、当時の取材ディレクターは中国取材を振り返って何を思うのか。現代と1970年代の中国の姿を重ねながら「幻の第13話」を検証、当時の中国報道の問題点、そして35年後の今、私たちメディアの果たす役割について考える。
 
 
2007年中国北京 天安門 開発の進む北京
 
スタッフのつぶやき