2010年03月25日[木]
人生とは
「ショートトラックはボクの人生そのものです」
誰しもアスリートであれば必ず終わりがやってくる。3月14日、日本が誇る一人のアスリートが現役を終えた。
ショートトラック元日本代表・寺尾悟選手(34)である。
すでに去年12月の全日本選手権で5度目のオリンピック出場を逃し、競技の第一線からは退いていた。
そんな中、神奈川県相模原市で行われたアジアショートトラック選手権の最終日。
全種目が終了し、表彰が行われたあとに日本スケート連盟が用意した特別な舞台で
寺尾選手は引退レースとして最後の500メートルを滑った。もうこれで現役として滑ることはない―――――
10歳でショートトラックに転向してから24年間、氷上を滑り続けた男の表情は実に晴れやかなものだった。
寺尾選手といえば、誰もがその実力を認める日本ショートトラック界の第一人者。
これまで全日本選手権を制覇すること12回。ワールドカップの前身である
ワールドランキング時代には96年に総合優勝を飾るなど数々の栄冠に輝いた男である。
しかし、そんな男の一つだけ届かなかった夢・・・。
「オリンピックでのメダル獲得」
オリンピックでは寺尾選手が初めて出場した94年のリレハンメルで4位が最高成績。
あと一歩まで詰め寄ったのに、あと一歩が足りなかった。その後も長野、ソルトレーク、トリノとオリンピックに挑んだが、それでも届かなかった。
勝負は時に非情なものだと思う。これだけの実績を残しながら世界最高峰の舞台でトップ3に入れない。
もし悔いが残るとすればきっとオリンピックでメダルが獲れなかったことと言うだろうと筆者は思った。
だが、男は違った。引退レースを終え、会見で言った言葉はこうだ。
「メダルが獲れなかったのは、正直どうしてなんだろうとは何回も思いました。
もし悔しい気持ちはあったとしても、その悔しさが今後の自分の人生に役立ててくれるハズだと僕は思っています。
だからメダルが獲れなかったことに悔いはありません」
男はハッキリと言った。悔いはないと。
17年間もの間、日本代表として君臨し続けた男の言葉に、勝負という世界を超えたものを筆者は感じた。
寺尾選手は現役を退くまでのここ数年を満身創痍で過ごしていた。そんな万全でない状態でも寺尾選手は決して弱音を見せない男だった。
強いアスリートだな、どうしてここまで出来るのかなといつも取材すると筆者は思っていた。
「やっぱスケートが好きなんでね」
「好きでやっているからここまで出来るんだよね」
「後輩に少しでも自分を見ていてほしいからね」
いつも決まって帰ってくる言葉は、こんな言葉だった。そしてその顔つきはいつも笑っていた。
ふと自分の人生に置き換えてみたくなった。ここまで強く生きられるだろうかと
。
強く生きるためには信念が必要だ。
筆者もいつか寺尾さんのようになりたい・・・。
例え苦難があったとしても、寺尾さんのように笑えるくらいの男でありたいと。
スポーツ取材に行った現場で、人生のあり方まで学んでしまった。筆者にとって、とてもいい一日だった。
ディレクター:Y
2010年02月03日[水]
フィギュア王国愛知から夢舞台へ
バンクーバー五輪があと数日で始まります
私の担当競技であるフィギュアスケートでは
鈴木明子選手、浅田真央選手、安藤美姫選手、小塚崇彦選手ら
愛知勢4人が夢舞台でメダルを目指し戦います
フィギュアスケートは華やかさが印象的なスポーツですが
選手たちはより高い点数を得るため日々壮絶かつ地味な練習をしています
それはまさに自分との戦い・・・
本番で見せる数分間の演技はこれまで何年間も積み重ねてきた努力の結晶
その努力の成果を本番で100%発揮できるかどうか
いろんな重圧を背負うだけに十分な心と身体を作り上げ本番に挑む愛知勢4選手たち
彼らをオリンピックが終わってもずっと応援していきたいと思います
ところで
スポケン!ではオリンピックのフィギュアスケート競技が終わった翌日の
2月27日(土)深夜
愛知県フィギュアスケート選手権を1時間拡大スペシャルで放送する予定です
この大会は村上佳菜子選手(15歳)や宇野昌磨選手(12歳)など
2014年ソチ五輪、さらに先の夢舞台を目指す次世代の新星たちが続々登場します
バンクーバーで愛知勢の大活躍を見た翌日には
「未来のオリンピック選手たち」が地元愛知の頂点を目指す熱い戦いをぜひご覧ください
メ~テレではキス&クライ(競技後に選手たちが自分の得点を見る場所)を
会場内に設営し大会を盛り上げます
大会は2月19日(木)~21日(日)まで日本ガイシアリーナで開催されます
皆さんぜひ会場で選手たちに温かい声援を贈ってください
ディレクター:K
2010年01月26日[火]
大舞台を前に…
いつの間にか1月も終わりに近づき、つい最近までお正月気分だったのが嘘のよう。
スポーツ部では2月のイベントが山ほどある。
ドラゴンズの沖縄キャンプ、グランパスの鹿児島キャンプ、FC岐阜の宮崎キャンプ、フィギュアスケート愛知県選手権、プレシーズンマッチなどなど。
2月のスポーツ部は部内がスッカラカンになる程大忙しなのだ。
でも、今年は忘れちゃいけないイベントがもう一つある。それは、『バンクーバーオリンピック』
東海3県からも沢山の選手が日本の代表としてオリンピックに出場する。フィギュアに至っては、殆どが愛知県出身の選手である。
先日、その中の一人である鈴木明子選手の取材に行った。
リンクではいかにもキツそうな練習が行われ、何度も何度も丁寧に調整をしているようだった。
練習時間が終わり、会見が始まった。
質問はお決まりの…「オリンピックでの目標は?」
だいたいの選手は、「メダルを獲ってきます」「悔いのないように頑張ります」という答えが殆ど。
私ももし、その場に立つことがあったなら同じような事を言うと思う。
しかし、鈴木選手は違った。
「観ている人が1人でも幸せになれるようなスケートをしたい。沢山の人にエネルギーを与えられたら…」これは、余裕というのか?ゆとり?どの言葉が適切なのか分からないが、初めてのオリンピックという超大舞台を前に、このような事が言えるなんて本当に凄いと思った。
私なら、オリンピックという空気に呑まれて、必要以上に意気込んでしまうだろう。
やはり、今までの努力とグランプリシリーズでの経験など沢山の事が彼女をここまで大きくしたのだと思う。彼女はきっと素晴らしい演技を見せてくれると信じている。
『世界中の人が幸せになれるようなスケートを…』
バンクーバーの会場が沸く瞬間が楽しみだ。
ディレクター:U
2009年12月22日[火]
一時代の終わり
一つの時代に終わりを告げる瞬間がとうとう訪れた。「どうなるか分からないですけど、これだけ真剣に滑ることはまずないと思います。」
そう涙ながらに話した男…ショートトラックスピードスケートの寺尾悟選手。34歳のベテランが語る事実上の引退宣言だった。
5度目のオリンピック出場をかけた全日本選手権で寺尾選手は初日、1500メートル6位。続く500メートルは7位と成績が振るわなかった。
男子の代表枠はわずかに3。初日を終え、トヨタ自動車の後輩である高御堂雄三選手と吉澤純平選手(とらふぐ亭)が早々に代表内定を勝ち取っていた。
残る枠は1つ、もう後がない。
2日目の1000メートルで全てが決まる。寺尾選手は「1パーセントでも可能性がある限り戦う」と前を向いた。
しかし、この大会で筆者は何度も寺尾選手が顔を歪めている姿を見た。これまでの取材で見たことがない、本当に苦しそうな表情だった。
去年の全日本選手権で12度目の総合優勝、そして大会5連覇。バンクーバーオリンピックへのプレシーズンに眩いばかりの栄光を掴んでいた寺尾選手が一転、
今年2月のワールドカップ遠征で左足首の脱臼骨折。懸命なリハビリで4月に復帰したが、思うような調整は進んでいなかった。
34歳のベテランに押し寄せる焦り、日本ショートトラック界の第一人者として圧し掛かる重圧は相当なものだったはず。
それでも10月の全日本合宿では「やっぱりスケートが好きだから。」と笑顔で筆者に話してくれた。
11月のスポケン!に出演して頂いた時には「トヨタの後輩たちと一緒にオリンピックに出る。」と熱い眼差しで語ってくれた。
そんなことを思い返しながら「寺尾悟、復活」と祈るような想いで2日目の1000メートルを筆者は見た。
迎えた1000メートル準決勝。序盤は先頭に立ち、心の中で「いける!そのままいってくれ!」と呟いていた。
残り3周。事態が一変する。明らかに状態がおかしい。コーナーの出口で大きく膨らみ、次々と後続にかわされていく。
どんどん小さくなる後輩たちの背中に何を思ったのだろう。寺尾選手の5大会連続のオリンピック出場が夢と消えた。
レースを終え、苦しい表情の寺尾選手を筆者は見られなかった。その後行われたB決勝はリンクサイドにいたが見なかった。いや、見たくなかった。
観客から拍手、ミックスゾーン(取材エリアの事)へと向かう寺尾選手に握手を求める人々。日本のトップとして大きな役目を終えたベテランが堪えきれずに涙を流していた。
「あちこち痛い中で続けてきましたけど、一つの区切りにしたいなと。もうこんなキツい態勢でもうやりたくない。」
気丈に話す男の姿にまた心を打たれた。気がつけば17年もの間、日本のトップとして君臨し続けた男は常に走り続けていたのではないか。
「オリンピックでの勇姿を見たい」そう思う筆者の気持ちは未だ変わらない。でも今は極限まで追い込んだ肉体をゆっくり休めてほしいと思う。
バンクーバーオリンピックへは寺尾選手の熱い魂を引き継いだ男子3名、女子5名が日本代表として大舞台に臨む。
そんな彼らに優しく、そして愛情いっぱいの温かい言葉でエールを送った寺尾選手。本当にお疲れさまでした。
ディレクター:Y
2009年04月15日[水]
○日間耐久フィギュアスケート!?
いよいよ今週16日木曜日から4日間、今シーズンのフィギュアスケートの最終戦「世界フィギュアスケート国別対抗戦」が東京の代々木第一で開催されます。
メ~テレでは世界が注目するこの大会を16日から4夜連続よる7時から放送します。
ということで、
メ~テレのフィギュア担当の筆者は数日前から東京へ派遣され、系列局のテレビ朝日のスタッフとともに放送に向けての準備と放送業務に携わっております。
この文章を書いているのは開幕の2日前・・・
恐ろしい数の素材テープと資料などに囲まれた東京六本木 テレビ朝日内のスタッフルーム通称「タコ部屋」での生活にすっかり慣れました。
この「タコ部屋」にはテープや資料に加え、早朝になるとADさんと思われる異臭を放つ数体の「シカバネ」が転がるうえ、発酵中の有害なる食料、洗われることない衣服などで、なかなかの環境汚染になってきています。
でも私たち住人たちが睡眠をとることができるのはADさんだけに限らず本日まで・・・
いよいよ楽しい♪楽しい♪「24時間耐久フィギュアワールド」がやってきます。
そして そのフィナーレには「辿り着いた者しか絶対に得ることのできない達成感」が待っています。
みなさん
「世界フィギュアスケート国別対抗戦」にご期待ください。
そしてメ~テレのフィギュア関連の番組もよろしくお願いします。
ディレクター:K
2008年03月12日[水]
純国産の…
浅田真央が専属コーチ・アルトゥニアンとの師弟関係を解消した。練習環境、言葉の問題など様々な理由があったらしい。そのことが報じられた翌日、真央の恩師・山田満知子コーチとお話をする機会があった。込み入った話を浅田サイドとしたという。でも満知子コーチは引き続き「明日の真央」を育てるべく名古屋のリンクに残る結論を出した。来週行われる世界選手権では浅田真央にコーチは付かない。キス&クライ(演技後得点結果を待つ場所)でも連盟関係者が座るという。世界選手権では前代未聞の光景となるはずだ。
満知子コーチはキス&クライ同席を打診された。世界トップ・華やかな場所、コーチでも憧れの場所である。だが、辞退した。それでも真央は言う「私の先生は満知子先生です。」
国内のリンク不足、外国人有名コーチに師事するため海外を拠点とするケースが増えている。実際、高橋大輔・安藤美姫など成功例も多いが他方、浅田真央のケースもある。一長一短あるが、愛知県で言えば万博のため閉鎖になったリンクが再開、中京大リンクオープンなど、まだ潤沢とはいえないが設備は整いつつある。コーチに関しては表現力アップのため外国人コーチに指導を仰ぐが、ジャンプでは日本人コーチの方が上という声も多い。
(今の採点方法ではジャンプが確実に跳べなければ、トップになれない)
浅田真央の来シーズンのコーチ契約は未定である。海外拠点を否定するつもりは全く無いが、「純国産の世界チャンピオン」も見てみたい気もする。
ディレクター:K
2007年12月13日[木]
女子アナ・フィギュアスケーターへの道
スポ研のスペシャル企画、「女子アナフィギュアスケーターへの道」の最終回が今週放送される。お披露目はトリノ五輪金メダリスト・荒川静香さんの前でという事で、荒川さんがアイスショーを開催している出雲市内で最終ロケが行われた。全くの素人である新人の鈴木アナは3ヶ月間、本当にがんばってくれたと思う。3ヶ月間といってもリンクを貸切り、コーチが付いての練習は5~6回程度。その他は、スケーターでごった返す大須リンクの一般滑走の中で、地道に練習を重ねていた。以前の企画で運動神経の良さを発揮した鈴木アナに今回の企画も迷わず依頼、とはいえたった3ヶ月間で果たしてどこまで映像に耐えうる演技が出来るのか? 私自身、不安だった。(鈴木アナのほうがもっと不安だったと思うが・・)ところが日を追うごとにスケーティング技術は目に見えて上がっていく。たまたま1日練習に付き添えない時があったのだが、翌日見に行くと既にシングル・トゥループジャンプをマスターしていた。こちら側もある程度の演技レベルを当初、予定していたが、やはり欲は出るもので上達するにつれレベルを上げていった。本番前日、いや直前までプログラムの細部までこだわった。
本番当日、鈴木アナは朝の生番組出演終了後、電車で6時間!!かけて出雲入り。
それだけでもぐったりな所だが、即、着替えて初めての氷で20分ほどの練習(氷は硬い柔らかいなどの差がそれぞれある)そして、演技披露となった。その模様は、今週のスポ研でご覧頂くとして、フィギュアスケートが普段テレビに映るのはいわゆるトップスケーターの素晴らしい演技ばかりである。その難しさはなかなか伝わりにくい。野球であればプロの投手が150キロ、素人が投げて90キロ。プロのすごさが分かる。そんな目線で今回、鈴木アナの演技を見ていただいてから、滑ってみたら、鈴木アナの3ヶ月間の~がんばり~を分かっていただけるかも・・・
ディレクター:K
2007年09月25日[火]
フィギュア王国・愛知
最近スケートリンクへ行く機会が増えた。取材ではなく滑るために。「スポ研」企画~女子アナフィギュアスケーターへの道~で、メ~テレ・鈴木しおりアナが連日、大須のリンクへ練習のため通っている。その付き添いもかねて、筆者も眠っていたホッケー靴を引っ張り出して、氷の上に立っているわけだ。大須出身の私は小学生の頃から週末になれば大須のリンクで1日を過ごしていた。当時、同じリンクで小学校低学年だった伊藤みどりが真ん中でクルクル回り、ジャンプをビシバシ跳んでいるのを横目で見ながら…
あれから30年…伊藤みどりが同じようにリンクで滑っている。それを見つけた鈴木アナは感激していた。「おととしまでだったら、真央ちゃんや美姫ちゃんも一般滑走で普通に滑っていたんだよ。」と言うと、驚いていた。そして元祖・トリプルアクセルのみどりさんにちゃっかり出演交渉もした鈴木アナ。「私にジャンプを教えてください!」突然のお願いにもみどりさんはにっこり微笑んでくれた。
学校が終わる時間になればリンクはフィギュアスケーターを目指す子供たちであふれかえっている。比較的狭い大須のリンクに加え、数十人のちびっ子スケーター、リンク内はごった返している感じだ。以前、真央ちゃんは「狭くて大勢いる中で練習したから、上手になったかも」と話していた。五輪・銀メダリスト伊藤みどりを産み、その後数々のスケーターが育った大須のリンク。みなさんも運動をかねて金の卵たちがいっぱいいるリンクへ行ってみれば、フィギュア王国・愛知を実感できることでしょう。
ディレクター:K
2007年04月18日[水]
家族の支え
先月、フィギュアスケートの安藤美姫が世界選手権で金メダルに輝いた。
この大会を制した者は一年間、世界女王の称号が与えられる。この4年間ではあるが彼女の成長を影ながら見てきた。港区のリンクで早朝・夜間、時には一般滑走に混じり氷上で練習を重ねていた少女が世界女王となった。
私が感じたことは、それまでの過程の中で、安藤のそばに常にいた母のこと。
私が取材を始めた頃、企画の1シーンで母を取り上げたことがあった。放送後、リンクへ行くと安藤が近づいてきて「ママが怒ってたよ~」と言ってきた。ヤバイと思いながら、ママのところへ行くと「フィギュアスケート選手を子に持つ母親たちはみんなが付きっ切りで世話をしてるの。別に私だけが特別じゃないから取り上げることでもないのよ。」
別段、怒っていたわけではなかったが、はっきりと言われたことがあった。
今でこそ米国での練習が多くなったが、当時はほぼ毎日の送り迎え、練習中もスタンドに座り娘を見ていた。「やっぱり滑りは気になりますか?」と聞くと「そんなのはいいんだけど、人様にぶつかって怪我でもさせてしまったら大変でしょう。だから見てるの。」 予想外の返事だったから、今でも覚えている。
世界選手権での優勝インタビュー、「家族の支えがあったからここまで…」と優勝者のコメントではよく耳にするフレーズだった。だが、これまでの苦労のほんの少ししか知らない私かもしれないが、なんだか本当にジーンときた…たまらず、深夜ではあったが携帯を鳴らした。
「ねぇ、ほんとにびっくり。でもこれからが長いから、がんばらないと…」
いわゆる、お茶をするのが大好きで、事あるごとに喫茶店に誘ってくれたお母さん。またまたこんな事を書いて4年前同様に叱られるかもしれないけど、今回は大目に見てくださいね!!
ディレクター:K
2007年01月18日[木]
有言実行
ウィンタースポーツ真っ盛り。特にフィギュアスケートの人気は高まるばかりです。去年の全日本選手権では地元の浅田真央選手が素晴らしい演技を見せてくれました。
浅田選手は試合に臨む際、いつも自分の目標をはっきり言葉にしています。全日本の前にも「トリプルアクセルを跳んで、ノーミスで優勝したい。」と報道陣に話してくれました。浅田選手はまさに“有言実行”のアスリートですが、“優勝”という二文字を公の場で発言することはとても勇気がいること。しかし、そこには重要な意味がありました。
浅田選手はこれまでずっとシーズンごとに目標を決めて、それをクリアするために練習に取り組んできました。そして、それが自然と言葉となって出てきていたのです。しかし、最近“目標を言葉にすることによって、自分の中で目的意識がさらに明確になる、動機付けの役割を果たす”ということに気づいたようです。現に試合前に弱気な発言をした時はいい結果が出ていないそうです。
確かに私たち人間は自分で限界の壁を作っていることが多いのかもしれません。そんな壁を取り払うには“言葉に出す”ということは有効な手段になります。ただし、そのためには“言葉に出せる”だけの努力が必要だということ。
浅田選手にとって最大の目標は“バンクーバー五輪金メダル”です。そこに到達するためにこれからどんな言葉を発してくれるのか、浅田選手の演技と共に、その発言にも注目していきたいと思います。
そして、私自身も2007年は”有言実行“の年にしてみようかな…。
ディレクター:O